しかし、寝る前で補聴器を外していた息子に「聞こえる?」と聞いても、やはり、もちろん、聞こえないんですね、この高音域。 補聴器をつけても、部屋の中では聞こえない。 外で鳴っているので、窓辺に近づくと「あ、聞こえた」、窓を開ければ「はっきり分かるよ」とのことでした。
当たり前と思っている警報や報知の高音域のピーピー音。 聞こえない人もたくさんいるだなと、我が子が難聴でなかったら思いもしないことでした。
言語聴覚士のK先生と初めてお会いしお話していたとき、「それで、かかりつけ保健師の方は何と言っていたの?」と聞かれました。
「その内きちんと話すようになるわよ。 男の子は遅いのよ、としか言われませんでした。」と言うと、
怒ったように「いつも言葉の遅い子には聴覚検査をするように言っているのに」。
「聴覚検査をしたのは、4歳のときですね」と、私。 4歳での聴覚検査は義務となっています。
でも、K先生は、言葉の遅い子には早くに聴覚検査をし、早期に発見すべきだとおっしゃっているのでしょう。 そこで感じたのは、かかりつけ保健師と聴覚専門家の間の温度差。
あれから私たちは、息子のかかりつけ保健師を変更し、新しい方に何故替えたのか息子の難聴についてお話しました。 新しいかかりつけ保健師は、K先生と同年代のベテランの方。 で、その方も言っていたんですよね、「検査しても小さい子は集中できないので4歳になるまで聴覚検査はしないんです」って。
つまり、聴覚の専門家たちは、言葉の発達が遅いのは難聴の疑いがあるので聴覚検査をして早期発見につなげるよう要請している。 しかし、かかりつけ保健師の方では、
4歳以前の子に聴覚検査をしても集中できないので意味がないし、子供の言語発達には個人差がある、という認識なのです。 多くの子供達をさばくので、いちいち付き合っていられない、というのも本音でしょう。 以前のかかりつけ保健師と接していて、そう感じました。
彼女は、息子が聴覚検査で反応ないのを見て、あくまで「集中できないからだ」と言い、聞こえてないという危惧はまったく持っていませんでした。 頭から聴覚検査は無意味と思っていたみたい。
それと、バイリンガルや複言語で育っている子の言葉の発達についても、両者に隔たりがあります。
かかりつけ保健師は、「バイリンガルで育っている子は、言葉が遅いのは当たり前。 モノリンガルより言語の習得にパワーも要するし、時間がかかる」という見解。 新しいかかりつけ保健師は「おまけに難聴だったら、聞くことに集中しなくてはならず、他の面の発達の遅れにもつながるでしょう」とまで言っていました。
しかし、言語聴覚士のK先生は「難聴だからって、幼児がいくつもの言語を習得するのに何の問題もありません。 現地語と日本語、同時にやっていくわよ。」と今後の展開を述べていました。
私はK先生の言葉に全面賛同です。 息子を見ていても、二カ国語を習得するのに難聴であることはまったく問題ではなく、また何の苦労もないのです。 (あくまで、幼児期からバイリンガル環境にいる場合。)
赤ちゃんのときから復言語で育っている場合、それが当たり前で、全ての言語を同時に自分の言葉にしていくようです。
もちろん、大きくなるにつれ個人差がでてくる例は身近に見ています。 環境から、どうしても現地語の方が勝ってしまう例は多いです。 でも、今の時点で息子は現地語と日本語、まったくの同レベルであり、二つの言語を使うことをまったく苦にせず、当たり前のことと思っている。 (正確には、二言語使うことに対して何にも思ってないと言うべきか。)
また難聴だから聞くのにパワーを要するというのも、こじつけ。 だって、生まれたときからよく聞こえていないので、それが当たり前の世界なのです。 聞こえないまま、聞き流しているだけです。 自分の他人の違いを認識し、自分は他の人たちより聞こえにくいと自覚したら、聞くことに力を入れるようになるでしょう。 でも、息子の場合は、それ以前の段階ので、まったくの自然体、聞こえないのが当たり前だから、特別力も入れていない。
北欧の子育て支援制度である、妊娠から出産、そして修学まで、同じ保健師が「かかりつけ」として担当するシステムを日本にも導入したいと勉強する市民団体の記事を、以前日本のニュースで読んだことがあります。
私たちが住む国にも似たような制度があり、 看護士の資格を持つ人が子供が産まれてから就学するまで、
一貫して一人の子供を担当します。 赤ちゃんの時は数ヶ月ごとに検診に行き、予防接種及び授乳や離乳食のアドバイスをしてもらい、1歳半以降はほぼ1年ごとの検診。 発育のチェック、聴覚と視覚検診なども行います。
「どこの」かかりつけ保健師に行くかは、通常住んでいる場所から近い地域の保健師となりますが、丁度うちの子が産まれた頃、
地域外の保健師でも親が好きなところに変更し登録できるという新しい制度が始まりました。 その前までは、理由がないかぎり変更できなかったようです。
産まれて自宅に戻ったときから診てもらい、相談に乗ってもらっているので、私たちも担当の保健師さんを信頼していました。 でも、うちの場合、それアダとなってしまったんですね。
最初のうちは問題なかったのですが、私が担当の保健師に不信感を持ち始めたのは3歳頃のときでしょうか。 どこか息子は、他の子たちとは違うようだし、言葉の発達が遅い。 身内にアスペルガー症候群がいるので遺伝的に息子もアスペルガーの可能性があるのではないか、と訴えましたが、「個人差はあるもの。 この子は普通。 まだ3歳だから分からない。 男の子は言葉が遅いし、この子は2カ国語で育っている」とまったくこちらに聞く耳もたず。
そして、彼女が担当した子で、常に落ち着かず騒いでばかりいるので両親が、うちの子は「多動性(ADHD)」ではないかと心配していたが、1年後の5歳の検診に来た時には落ち着いた大人しい子になっていた。 なので、私は早くから発達障害のレッテルを貼ってそのような施設に子供を送りたくない、って言うんですね。
夫はそれ以上なにも言わず、また夫も「うちの子は異常だ」と決めつけたくないようで、そのまま引き下がりましたが、私はだんだんと彼女に不信感を持ち始めました。
だって、その子のケースは発達障害じゃなかったから良かったけれど、もしそうだった場合、対処が遅れ取り返しのつかないことになるかも。 発達障害に限らず、どんな病気でも、早い方が本人も親も助かりますよね。
4歳の検診のときも、言葉が遅い、発音がおかしい、コミュニケーションが取れない、アスペルガーではないかと訴えたけれど、聞く耳持たず。 専門家である心理士に診てもらいたかったけれど、紹介してもらえませんでした。
そう、ここの制度では、自分で勝手に病院に行くことができないのです。 まず「かかりつけ保健師」が診て、必要と思ったら専門の病院に紹介状を出すというシステムなのです。
知人の息子さんの場合は、うちの子より一つ上なのですが、4歳の時に「かかりつけ保健師」が、喋り方がおかしい、吃音があり発音も不明瞭だと言語聴覚士を紹介してもらっていました。
このように、担当の保健師さんによっても対応が違うのです。
検診以外でも、何度か電話して相談しましたが、「私はたまにしか診ないんだから分からないわ。 毎日接している保育園の方に相談して」としか言われず、ほとんど無視状態。
本当に、親として子供のために何もできないのが、とてももどかしかった。 そして迎えた5歳の検診。 これが、この担当保健師と最後の検診。 保健師も「今日で最後ね。 後は学校医の担当となります」と言っていましたが、息子が就学するにはまだ1年半以上あるんですよ。
そしてこのとき、ようやく心理士に紹介状を書いてもらったわけですが、4歳児検診時の聴覚検査の結果はまだ出ていなかったのです。 感音性難聴であり生涯補聴器が必要との診断が出たのは、この数日後。
なので、この担当保健師とは、診断が出てからは一度も会っていませんし、会うこともないでしょう。
聴覚関連の医師や先生からは「本来なら2歳のときから補聴器が必要なのに」と驚かれました。 なぜ今まで発見できなかったのか、保健師が検査しなかったのか?と。
生後数日で行う病院での新生児スクリーニングではひっかかりませんでした。 2歳くらいのとき、かかりつけ保健師が器具を使って耳が聞こえているかという検査はしていました。 本来、そこで発見されるべきだったよう。 そのとき、担当の保健師は耳の側で器具を動かし「あら、耳にぶつかったから反応したのかな。 ま、大丈夫ね。 聞こえているわね」とか言っていた。
あれも、おざなりにしていたのかな。 あの人は、息子の耳が半分しか聞こえていないなんて思ってもいなかった。 4歳児検診のヘッドフォンを付けての聴覚検査のときも「なかなか集中できないから、今日は無理ね。 でも、男の子って、そうなのよ。 注意力散漫なの。 一応あらためて検査をするけれど、急ぐ必要ないから」と言っていて、再検査は3ヶ月後になったのです。
再検査の時も、息子が反応しないのを診て「ここじゃあ集中できないみたいね。 病院でやった方がいいわ」と、あくまで息子の集中力の問題にしていて、聴覚異常など疑ってもいなかった。 だから、言葉の遅れと難聴を結びつけてもいなかった。
多分、過去に自分の患者に同じ症状がなかったのでしょう。 自分の経験を過信していたのかもしれませんし、おざなりに子供達を見ていても、今まで問題なかったのでしょう。
本当に、かかりつけ保健師が彼女でなければ。 信頼などせず、他の保健師に替えていれば。 でも、もう検診は1年に1回のペースで次で終わりだから、今さら替えても。 それに、他にどこの保健所がいいかなんて分からないしと、そのままにしてしまったため、全てが終わった後になってしまいました。
補聴器を装着し始めた第一目、朝、台所の戸棚をキィーと開けたら、息子が「ここ音がするよぉ」とおかしそうに笑っているので、目を剥いた私。
台所の戸棚の扉は、息子が小さい時ぶる下がって遊んでいたので、蝶番がおかしくなり、開け閉めするときキィーキィー音がするのです。
そのキィーキィーする音、今まで聞こえていなかったんだ! 初めて聞いた音なんだ! 今まで、ずぅーとキィーキィー鳴っていたのに。
コーンフレークを取り出しボールに盛ると、袋やコーンフレークがカサカサ立てる音に「これも音がする」と笑っている息子。
これも、今まで聞こえていなかったんだ!
高周波にあげられる音に、木の葉がカサカサする音、鳥のさえずりがあります。
夫の祖母が歳を取り耳が遠くなったとき、「最近、あの鳥は鳴かないねぇ」「何言っているの、おばあちゃん? 今鳴いているよ!」ということがあったとか。 歳を取って耳が悪くなる場合も感音性であることが多く、鳥のさえずりが聞こえなくなるらしいです。
電子レンジのまわる音、炊飯器が奏でる音などの電子音にも反応。 ホットケーキを作るのに泡立て器をカシャカシャしていたら、それもうるさいと。 ジャムの瓶とスプーンがカチャカチャ音を立てていたらびっくり。 特に台所はうるさいようです。
息子は、言葉が遅めだったけれど異常に遅いというわけではなく、喋り方や発音がちょっとおかしいけれど吃音というわけでもない。 名前を呼ばれれば振り返り、受け答えはきちんとするし、長い会話は噛み合ないけれど、それはまだ子供だからと思っていて、まさか耳が聞こえていないとは思いませんでした。
私たち親にしても、難聴には音そのものが聞こえにくい「伝音性難聴」と、耳の中の神経に異常があり高音(低音)といった音が聞こえない「感音性難聴」という種類があるとは、まったく知りませんでした。
うちの息子は、「感音性難聴」で、高周波の音がほとんど聞こえていない。
と、聴力検査をして分かったのです。
高周波が聞こえないとは、どういうことか。
これは英語やヨーロッパ言語での例えなのですが、f、s、th、といった子音が聞こえない。 k、t、も聞こえにくい。
それを知って、納得。 うちの息子に当てはまっています。 うちの息子は、f の発音ができない。
♪London bridge
falling down 〜 my fair lady♪ と歌うとき、「フォーリンダウン」が「コーリンダウン」になっているのです。 「フォーリンダウンだよ」とフォーを強めて教えると、フォーリンダウンと言えたりしますが、また歌っているとコーリンダウンになっている。 もちろん、my fair lady の部分もめちゃくちゃ。
これって、f などの発音が聞こえてないからなんですね。
High Five! も「ハンパーイ」みたいな発音になっている。 最初、「バンザーイ」と言いたいのか?と思っていました。 その他の、f の発音、全然できません。 でも、正せばその場は言えるのですが。
母音は、比較的聞くのに問題ないとのこと。
そのためか、日本語は現地語ほど、発音がおかしくありません。 なので、日本語の方がよくできる、と言われてしまうほど。 でも、私からすると、息子の日本語の発音や喋り方は、やはり、おかしい。 どこか音が漏れるような、明瞭さがない。
息子の場合、一部の音が聞こえていないので、発音がおかしく、話しの内容も理解できていないと分かったのですが、「感音性難聴」の知識がないと、まったく理解できないことでした。