バイリンガルで聴覚障害と発達障害

5歳で感音性難聴が分かったバイリンガルハーフの息子、難聴学校に入学。 その後、発達障害(自閉症)の診断も出ました。 親としての備忘録、息子の成長の記録、欧州で暮らしているので日本とは言語も環境も異なりますが情報共有としてブログを始めました。

カテゴリ:バイリンガル > 日本語

学校で初めて宿題が出ました。 月曜に、手のひらサイズの6ページだけの小さな絵本を持って帰って来て、「金曜日にクラスメートみんなの前で音読するので、家で読む練習をしましょう。」と、先生のメモが付いていました。

音節文字である平仮名と違って、アルファベットは表音文字であり、単語(のスペル)を読むのは難しいんじゃないかな、と日本人の私は思います。

また息子の場合、日本語(平仮名)でもそうなのですが、きちんと文字を一つ一つ読まないんですよねっ。 何回か読むと文章を覚えてしまったり、「言い回し」的なものも覚えているので、文字を追わずに適当に空読みしてしまう。

案の定、最初のうち語尾の t とか、冠詞とか、飛ばして読んでいました。 でも、練習するうちに、きちんと文字を読み、発音するようになってきました。

日本語とは構造がまったく違うヨーロッパの言語、子供たちはこうやって習うんだーと感心することもしきり。

ところで息子の日本語ですが、最初、保育園時代のうちに日本語の基礎(ひらがな・カタカナの読み書き)をしっかり身に着けさせたいと思っていました。 小学校入学後は、どうしても学校の(現地語での)勉強を優先することになりますから。 

しかし、息子、日常生活で日本語は話すけど、読み書きの方はまったく興味示さず・・・ (日本だったら、幼稚園児でも自分で絵本読むだろうし、私も本を読むのが好きだったので、とにかく読んでいたけど。) でも、私は、無理強いして日本語が嫌いになったら困ると思い、日本語学習は息子の気の向くままにさせておきました。

で、学校で(現地語での)読み書きが始まってから、日本語の教材を持ち出すと、以前よりずっとスムーズに読んだり書いたりしていることに気づきました。

息子の日本語と現地語は、どっちが優位かというと、常に同レベル。 最近現地語が伸びてきたなと思うと、日本語も同じくらい伸びている。 学校が休みで日本語のばかりかなと心配になっても、現地語の方が劣るということはない。

結局読み書きも、日本語だけを最初に徹底してやらせるというより、学校で習う現地語と同ペースで習うのがいいかな、息子の場合。 (こういうのって、やっぱり個人差があるのかな。)

でも、先日、息子から現地語の単語のスペリングを聞かれ、知らない分からないと答えたら、「ママも、きちんと現地語を勉強してねっ!」と言われてしまった。 (でも夫に、その単語のことを聞いたら、息子が見ていたバカバカしいアニメに出てきた造語だそうで、そんなの私に分かるわけないでしょー。)

最近は現地語の伸びの方が著しく、日本語では堵もること多い。 私に対して、突然現地語を話すときもある。 もしかして、日本語での会話は息子にとって苦痛になってきているのではと思い、「日本語で話すのと、現地語で話すの、どっちがいい?」と聞いてみたら、「日本語話す人とは日本語、現地語話す人とは現地語がいいでしょ。」

はぁ、もっともでございます。 (ちょっとビックリ。)

でも、そう言ってもらえて、嬉しかったです。 (いつまで、そう言ってくれるか。)
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なかなかブログを書く時間がとれません。 あと1か月もすれば、今学期も終わりです。 もう小学校に入学し、半分過ぎることになりますね。 といっても、休みばかりで、、、 昨日も先生方の研修日ということで、全ての公立学校及び保育園が休み。 (こんな研修日が年に何回かあります。)

最近というか、数か月前から気になる息子の日本語。

今まで自分のことを「ぼく」と言っていたのですが、突然「わたし」と言うようになり、そのまま「わたし」と言い続けています。

母親の私の影響ではなく、NHK for School の『さんすう犬ワン』の影響かと、、、 この番組をウェブ上で見せ、算数を楽しんで理解してくれたのは嬉しんだけど、主演者のひとりテンコちゃんが「わたし」と言っているので、それをマネして「わたし」と言い始めたらしい。

キミは男の子だから「ぼく」でいいんだけどなぁ。 今は日本語を話すのは私だけなので支障はないけれど、今度日本に帰省したとき「わたし、わたし」と言っていたらおかしいので、やはり「ぼく」と言うように直すべきか?

また、もうひとりの主演者キュウベイが言ってたと思うのですが「つべこべいうな」という口真似。 私が息子に文句言ったり怒ったりしたとき、ニヤニヤ笑って一言「つべこべいうな」と言い返され、脱力。

意味分かっているのかどうか、日本の番組で覚えた言葉、普段の生活で子供が使わないような言葉を、的確なシチュエーションと絶妙なタイミングで言うんですよね。 どう対処すべきなのか・・・(ボヤキ)

かと思うと、単純な日本語の単語は覚えるのが難しい?

夏の引っ越し前のことなのですが、息子が高い棚を指さしながら「たまねぎ、たまねぎ!」と言うのです。 「玉ネギ?? こんなところに玉ネギ入ってないよ。 (そもそも玉ネギをどうしたいのだ?)」と棚を見上げ思い当ったのは「ものさし」。

そこの棚には、長い折り畳み式の物差しを仕舞っておいたのです。 

「ものさし、のこと?」と聞くと、「そうそう」と名前はどーでもいいからそれを出せ、という態度。 どうも「ものさし」という名前を覚える気はないらしく、その後も「たまねぎ」と言い続けています。

クラスメートの名前も間違えて覚えているし。 セリフは覚えても名前を覚えてるのは苦手なのでしょうか・・・ これは難聴のせいではなく、父親からの遺伝と思われますが。

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日本大使館から日本の教科書、小学校1年の後期分をいただきました。

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前期は7冊もあったけれど、今期は『こくご』『さんすう』『生活』『ずがこうさく』の4冊でそれぞれ下巻。

前期分の教科書を活用しているかというと、そうでもなく、、、 一応全部には息子と二人で目を通していますが、活用するまではいっていないんですよね。 無理強いしてに日本の教科書で勉強させると、勉強嫌い、日本語嫌いになってしまうのではないかと危惧もあって、息子の興味範囲、息子のペースで時折教科書を開く感じです。

現地の学校で習ったことは、日本語でもしたがります。 例えば、足し算、引き算やrhyme(ライム、同韻語)など。 現地語では、同じ韻で終わる単語を見つけて覚えさせます。 そしたら、今まで興味なかったのに、日本語でも、同じ言葉で始まる言葉や終わる言葉を見つけて遊ぶようになりました。

学校で習うことはおもしろいようですね。

日本語の方は、相変わらず私とは日本語のみで会話しています。 現地語の語彙が増えてきて、「日本語ではなんて言うの?」とわざわざ聞いて、日本語で言います。 しかし、読んだり書いたりするのは苦手みたい。 『こくご』の教科書を開けても、読むのを嫌がります。 読んでもらうのは好きなんだけど。

それでも『こくご・上』に載っていた『おむすびころりん』と『おおきなかぶ』はおもしろいようで、勧めると自分で読んだりすることもあります。 

『こくご・下』では、最初のお話しが『くじらぐも』。 私のときと一緒!で感動しました。 『くじらぐも』は1年生国語の定番なんですね。 「ママも1年生のとき、読んだんだよ!」と興奮。

『こくご』の教科書は、日本語を習う上でとてもよく出来ています。 やはり国語は最初から教科書できっちり教えておきたいな、と思います。
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難聴でバイリンガルでもある息子の言葉の発達について記録しておきたいと思いつつ、なかなか時間が取れないので、思いだせる限りまとめて、6歳前半として書いておきます。

難聴でもイントネーションは完璧で、日本語と現地語をしっかり使い分けています。 相変わらず、日本語の単語を現地語の会話で使うときは、日本語が現地語のイントネーションになります。

教会の大理石の床にアンモナイトなどの化石が入っているのを見つけ、他の子に現地語で「見て、カセーキがあるよ!」 化石という現地語を知らなかったので、化石を日本語で言っているのですが、イントネーションは「カセーキ」となっていた。

しかし、その逆はあまりないんですね。 日本語を喋っていても現地語の単語は日本語発音にはならない。

つい先日のこと。 保育園に Zackarias という名の子がいるのですが、迎えに行ったとき、その子のTシャツが真ん中でビリッと破けていたので、夜添い寝しながら「なんでザッカリアスのシャツは破けていたの?」と聞くと、「Kが破った。 そしてZackariasKのシャツを破ってしまったのよ。 ところでママ、 Zackarias は現地語で、サッカリィアースって言うの。 ザッカリアスは日本語よ。」

つまり、私の発音は日本語的で、ここでは(現地語では)間違っていると指摘されてしまった!!

私は Zackariasという綴りを、そのままザッカリアスと平坦なカタカナ読みをしていたのです。 しかし、息子にとって、私の発音&イントネーションは日本語であり、正しくはサッカリィーアスだと。 私、考えてもいませんでした。

現地語の発音は、既に息子の方が達者です。 息子が自転車で走り、その後から私が歩いていたときのこと。 前からやって来たバギーに乗った小さい子が息子を指し、下っ足らずに息子の名前を連呼するのです。 すれ違った後に、「今の子、あなたの名前を言っていたけれど、知っている子?」と聞いたら、息子は呆れたように私を見て「(現地語で)自転車、自転車って言ってたんだよ!」 ええっ、私には発音が聞き取れず、息子の名前に聞こえた・・・まったく違う単語なのに。 しかも、私に分かるようはっきり言った息子の(現地語で自転車という)発音は、完璧。 

さっきの、ザッカリアスとKがお互いのTシャツを引きちぎった話なのですが、「なんでそんなことしたの?」と聞くと、「不満だったのよ。」という息子の答えに唖然。 「不満」なんて単語(日本語)、保育園児が使うか!?

一体、息子はどこから難しい日本の単語を学んでくるのだろう???と考え、もしかしたら『機関車トーマス』かも(Youtubeで日本語版を見ていた)。 ナレーションで「ディーゼルは不満だった」とか言っていたような。

そのトーマスの10分ほどのお話なのですが、なんと息子はセリフの全部を暗記していて、突然最初っから最後まで語りだすことがあるのです。 ナレーションからおのおのキャラクターのセリフまで、ひとつの番組の始まりから終わりまで。 発音は不明瞭なところがあり、意味はあまり分かっていないようなのですが。

それで「申し訳ございません、ってどういう意味?」「そのときトーマスがやって来た、ってどういう意味?」と、全ての言葉(文)について「どういう意味?」と聞いてくるので、参る。

この「どういう意味?」攻撃、日本語でも現地語でも、今でも続いていますが、本当に意味が知りたいってわけではなく、ただ聞いてくるだけなような。 こっちは一生懸命説明するのですが、それも聞いて理解することはないような・・・ とにかく、これは疲れます。 思わず「いい加減にしろ」と言ったら、「いい加減にしろ、ってどういう意味?」と返ってくるし。

単語の意味の理解で、日本語と現地語が上手くつながらず、おかしくなることもよくあります。 例えば「ボクの子供」。

「あの子はボクの子供なのよ」とよく言っているので、「お前にまだ子供はいないだろーが」とツッコミたくなりますが、状況を考え、やっと意味が分かりました。 「友達」のことなのです。

それというのも、保育園で先生は園児に(現地語で)「子供たち」と呼びかけるんですね。 それで息子は保育園の子供たち、息子にとっては友達だけど、日本語にそのまま訳し「ぼくの子供」って言っちゃうみたい。

それで、「子供じゃなくて、友達でしょ」と教えるのですが・・・

ある日、パパの言語聴覚療法に行ったところ、言語聴覚士さんのお子さんが急病でキャンセルになったことがありました。 で、家に戻って来たとたん私に向かって「先生の友達が病気だったのよ!」

いや、それは「先生の子供」だっ!

「子供」と「友達」という単語が、息子の頭の中でごっちゃになってしまいました。

語尾が「~のよ」「~かしらぁ」となるのは、私の影響(母親しか日本語話者がいない状況だから)でしょうね。

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大使館から日本の教科書をいただき、大喜びの息子ですが、「いつ日本の学校に行くの? いつ日本の学校に行くの?」とうるさい。

教科書は貰ったけれど、日本に住んでいるわけではないので、日本の学校には行かない、と説明するのですが、それがすんなり理解できないらしい。

難聴児に理解できるよう複雑なこと、抽象的なこと、目に見えて分かるものじゃないことを説明するのは難しいです。

「じゃあ日本に行ったとき日本の学校に行くの? いつ日本に行くの?」と言われても、今年は日本に行かない(笑)。

日本の学校では海外在住児童の一時帰国時に「体験入学」を受け入れてくれるところもあるようですが、息子の場合、普通の学校での授業は難しいかな?

張り切ってカバンの中に詰めていた教科書を、後で引っ張り出してみると、教科書以外にもいろいろ入っていて、笑ってしまいました。

schoolbag

教科書は、まだ勉強というかたちではなく、少しずつ開いて読んでいこうかと思っています。 既に『図画工作』と『音楽』は息子自ら持って来て、見たり、読んだり、歌ったり。 

こっちでは「図画工作」や「音楽」の教科書はもちろん、教科自体がないらしい。 遊びレベルでやらせるくらいなのかな? 以前、こちらの中学生が描いた絵の一覧を見て、それらが幼稚園児レベルだったため動揺した覚えがあります。 日本人なら、例え絵が苦手でも、もっと上手に(描くべき対象を把握して)描けるよ〜と思いましたが、それは「図画工作」という教育科目の賜物だったのね〜と教科書を眺めながら納得しました。

『さんすう』も最初のページに線を引いたりしていました。 『こくご』は、夜寝る前に絵本のように一緒に読んでいこうかなと思っています。 でも、息子は音読が苦手。 一文字一文字ゆっくり読むけど、音読するのが精一杯で全体の意味が把握できていない。 少しずつ勉強させていきましょう。 でも、もう小学校一年生で漢字がどんどん出てくるんですね。 日本の教科書、やっぱりレベル高い!

『あたらしいせいかつ』は、前半部分が学校生活について。 もちろん、日本の学校生活。 これ読ませると、また「日本の学校行きたーい」と騒ぐかもしれないので、この部分は見せない方がいいかも。

『道徳』も、重要な科目ですが、考えてしまいます。 協調性や人への思いやり、大切なことですが、こっちの生活に当てはまるか? 人を押しのけても自分が前に出ることを教えないと、こっちの社会で生存していけないぞ、と思ってしまいますね〜。 『道徳』を読んでいると、国の違い社会の違いを考えさせられ、まずは今住んでいる国や社会に適応させていくのが息子のためかと思うのでした。

バイリンガルと言いますが、言語には国や社会のバックグランドも関わってくるので、息子に二重のアイデンティティを背負わせることになるのでは、と悩んでしまいます。 日本の教科書を手にして、つくづくそう思いました。 日本語を身につけさせたいから日本の教科書を望んだのですが、言葉だけじゃないんだなと。

まぁ、これからどうなるか分かりませんが。 一切日本語を話さなくなり、日本人らしさなどない若者に育つかもしれませんしね。
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日本に住んでいれば、息子はこの4月で小学校入学となります。 日本で義務教育の教科書は無料で配布されますが、海外在住の日本児童も大使館を通して貰うことができます。

我が家にも届きました、日本の小学校1年生の教科書(全7冊)。

『こくご』『さんすう』『おんがく』『ずがこうさく』
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 私の頃に比べて、ずいぶんカラフル。 そして、驚いたのは、『りか』『しゃかい』がなかったこと。 その代わりに見慣れぬ教科書が、、、schoolbook2016haru2

『しょしゃ』『あたらしいせいかつ』『道徳』

今は全学年に『書写』という文字の書き方の教科書があるんですね。 『あたらしいせいかつ』は、「生活科」って言うんですね。 理科の観察のようなことや毎日の遊びに書いてあり、家庭でも活用できるようになっています。 『道徳』の時間は私の頃(って、40年前です、、、)にもありましたが、わざわざ教科書なんてありませんでした。 夫に「道徳は、、、 Moral Education (モラル教育)かな」と説明すると、「この国の子供達にこそ、必要な科目だな」と感心していました。

7冊合わせて、かなりずっしりくる重さです。 これは前期分なので、秋には後期分も送られて来ますが、こっちの子供達は、こんなに勉強しません! 第一、日本とは学年が1年ずれてくるので、日本の小学校1年は、こっちの学校の「準備学年(0年生)」。

教科書給与の一覧表が同封されていたのですが、気が遠くなりそうでした。

schoolbookjapan

日本の教科書は自動的に貰えるのではなく、前期分と後期分、それぞれ半年前までに在住国の大使館に専用の用紙にて申し込まなくてはいけません。 また、うちのように大使館まで取りに行けない場合は郵送してくださるのですが、送料代を渡します。 

後期分の教科書は3月末までの申し込みなので、大使館に用紙を送ったら、入れ替わりに「前期分の教科書が届きましたので送料分の切手をお送りください」という手紙が来て、初めてのことなので混乱してしまいました。 ちょっと面倒くさい(笑)。 最近は、全てデジタルで申し込みや送金を行うことばかりなので、切手を購入したり手紙を出したりするのも久々のことでした。 これを毎年2回、9年間続けるのかしら。

それはともかく、真新しい全ての教科書を無料でいただけるというのは、本当にありがたいことです。 特に海外暮らしにとっては、かけがえのない素晴らしい贈り物。 これらの教科書を見ていて、やはり日本人の頭の良さ(一般知識が身に付いている)やクリエイティヴさは日本の教育の賜物だと思います。 

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建設中の高層アパートを見上げ、何階あるんだろうね?と外側に出ているベランダ部分を数えた息子。 「12(階)。 わぁ、感動しちゃった!」と言ったので、面食らって「えっ、感動しちゃったの?」と聞き返すと、「うん。 感動って、どういう意味?」

私が面食らったのは、息子が「感動」という言葉を使ったのが、これが初めてだったから。 息子と日本語を話す相手は私だけで、私は息子に対し「感動」という言葉を使ったことはないので、驚いたのです。 どこで覚えたんだろう?と不思議に思い、誰が感動って言ってた?と聞いてみると、『紅の豚』で。

息子はスタジオジブリの『紅の豚』が好きで、このところよくDVDを観ています。 その中で、フィオがポルコの飛行艇の設計図を見て「私、感動しちゃった」というセリフが、確かにありました!

それで息子は、「感動」という言葉がこのシチュエーション(12階のビル)に当てはまると思って、言ってみたんですね。 しかし、私の反応を見て間違ったのかと思い、「感動って、どういう意味?」と聞いたんですね。

子供って、こうやって言葉を学んでいくのか〜と私も感動しちゃいました。 聞いて、実際に使ってみる。 

ところで、息子からよく日本語に関して「どういう意味?」と聞かれるのですが、子供に分かるように説明するのって、難しいです。
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紅の豚 [DVD]
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
2014-07-16


息子が「なんでスズメはニワトリを食べるの?」と聞いてきたので驚き、「スズメがニワトリを食べるの?」と聞き返すと、「うん、なんで?」

こっちも頭の中が????? 

「だれが言っていたの? どこかで見たの?」と聞いていくと、「博物館に、あったじゃない」と言うので、ことの真相が分かりました。

この前博物館に行ったとき、動物の剥製のジオラマ展示を見たのです。 森の動物の暮らしとか、海辺の生き物の暮らしとか。 人里近くの動物の暮らしとして、農家が飼っているニワトリを食べるキツネという図のジオラマがありました。

つまり、スズメじゃなくてキツネです、ニワトリを食べていたのは!

息子は、「スズメ」と「キツネ」の単語をごっちゃにしてしまっているのです。

難聴のせいか、このように二つの単語を混同してしまう面が息子にはあります。 現地語より、日本語の方が断然多いです。 日本語は、似た音の単語が多いからでしょうか。

よく言うのが、「かわいそう〜」。 本人は「かわいい〜」の意味で言っています。

「アフリカには、スターウォーズの博物館があるんだよ!」 いいえ、アフリカではなく、アメリカです。 (保育園にはアフリカ出身の先生がいて、お父さんがアメリカ出身の子がいるので、余計に分からなくなっているらしい。)

でも、私も子供の頃、「ドイツ」と「インド」が、どっちがどっちだったか、いつも一瞬考え込みました。 カタカタで見ると、一文字違い。

博物館と図書館もごっちゃになるようです。 どちらも最後に「〜かん」が付くからかな。 市の博物館と図書館は近くにあり、どちらにも頻繁に行くからかも。

小さい頃は「黒と白」「赤と青」「長い短い」という対になったり、反対語だったりの単語も混同していました。 これは現地語でも。 今は、目で見て分かる事柄は混同することが少なくなってきました。 (スズメがニワトリを食べる話も、補聴器を着け始めた頃のことです。)
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息子は、瞬時に日本語と現地を訳して言えるバイリンガル(今のところ)ですが、日本語の文法的な間違いは多いです。 最初のうち、日本語を話す相手が母親の私しかいないので、日本語に触れる機会が少ないからかな、と思っていました。 文法的な間違いは難聴児にありがちな典型的なことと知ったのは、息子の難聴が発覚し、言語聴覚療法を受けるようになってから。
6歳になった今でも間違い、毎回訂正するのに、まったく直らないのは、、、
 

いる(いた) → ある(あった)

「スターウォーズの御菓子が、いたよ〜!」「あそこにスプーンが、いるね」「こんなところに(探していたおもちゃが)いた」

というように、「ある、いる」の使い分けができず、なんでも「いる」を使ってしまうのです。 物などに対しては「ある」、人や生き物に対しては「いる」を使うという、自然と学んで言えることが困難なようです。

なるべく言い間違いを訂正するようにしていたら、今度は「見て、ネコがある!」と言ったりして。 「ネコがいる!ね〜」と答えるけれど、余計こんがらがっちゃうのかな、それともよく聞こえてないからかな。

あれ → これ

「あれ、これ、それ」の使い分けができず、なんでも「あれ」と言います。 近くにあるものでも、「あれ」。 そのつど、「これ? このこと言っているの?」と言うのですが、最近は私が言うと自分も「これ」と言い直したりしますが、やっぱりまた「あれ」と言っています。

あげる、もらう、くれる

「ボク、ママにくれる(あげる)よ」「パパがボクにあげた(くれた)のよ」「ママ、ボクにもらう(くれる)?」

これ、難しいですよね。 立場によって言い方が異なってきますが、いつも私が話す日本語をリピートしているので、間違ってしまう。 例えば、私が「チョコあげようか?」と聞くと、「うん、チョコあげて」とか。

いってきます → いってらっしゃい

私が「いってらっしゃーい」と言うと、息子もリピートして「いってらっしゃーい」と言ってしまう。「ただいま」「おかえり」も然り。 でも、これはずいぶん正しく言えるようになってきて、でも、まだ間違って言うこともあります。
 

過去形や時制も、全然できない。 これは、現地語でも同じ。
 

例えば、「いま(今)」としか、言わないんですよね。 いつも夜寝る時に「いま、保育園いく?」と聞きます。 私はいつも「いま保育園行かないよ。 あした行くよ。 寝て起きたら、保育園に行くよ」と答えるのですが、また「いま保育園行く?」と言う。 「いま? 寝て起きたら?」という言い方はするようになっても、「あした(明日)」という言い方をしないのはどうしてだろう?

あと、1個、2匹、3っつ、4人、5本、、、 等も、ごちゃごちゃになってしまいますね。

こういう文法的なことって、外国人(の日本語学習者)にとっても難しいことですが、よく聞こえない場合も、難しいのかな。
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