公立の「難聴児ための特別支援学校」S校での、今年1回目の学校見学では、在校生のお話を聞くことができました。

最終学年である9年生(日本の中学3年生にあたる)、女子と男子のお二人。 この夏に学校を卒業し、秋から高校に通います。 ご自分達の自己紹介から始まり、見学者である難聴児の保護者たちからの質問に答えてくれました。

女子生徒は、生まれつき左耳が聞こえず人工内耳をつけています。 お姉さんも同じ状況なのだそう。 この学校には1年生のときから通っているので、教師も生徒も全員のことを良く知り家族みたいと言っていました。 この学校のことが好きで好きでたまらない様子。 卒業するのは寂しいけれど、遊びに来るからね、なんて、側にいる先生に甘えるように言っていました。 かなり遠くの地域から、学校のチャーターバスで通っているのですが、それは苦にならないよう。 「通学上の車中では何していたの?」という保護者からの質問には、他の子と指を人形にみたて遊んだ、と答えていました。 毎日長時間の車での通学に、小さい子は耐えられるだろうかと親は心配ですが、子供はあまり気にしないようですね。

「週末とか学校の友達と遊べないでしょ?」という質問には、近所にも仲の良い(健聴者の)友達がたくさんいて、週末は平日の学校生活はまた違って楽しかったと答え、とても充実した子供時代を過ごしていたんですね。 彼女の清楚ながら質の良い装いからも、けっこう裕福な家庭で、考慮深い親の庇護のもと、障害など気にせず幸せにのびのび暮らしている様子がうかがえました。

男子生徒の方は、2年半前、中学1年にあたる年からこの学校に通い始めました。 4,5歳の頃に難聴であることが分かったけれど、そのまま普通の小学校に入学。 しかし、学校では授業についていけず、友達もできず、イジメられる日々だったそう。 健聴者のお兄さんがいて、いつも兄さんと遊んでいた、兄さん以外の友達や遊び相手はいなかったと言っていました。

親が学校に行けと言うので、毎日学校には行っていた。 しかし、授業は最初のうち何とか集中して聞いているものの、10分が限度。 10分過ぎると周り(教室内)もザワついてくるし、集中力も途切れてしまう。 すると、もう耳には何も入ってこない。

先生はマイクロフォンなどの補助器具を使ってはいたが、大して役には立たず、難聴児支援機関から年に2回、定期的に教育指導者が学校を訪れ状況を見たり話し合ったりするが、それで改善するわけでもない。

そこで、この学校に転入したのですが、ここで初めて友達ができ、授業の内容が理解できたそう。 側にいた先生も「成績がグンッと伸びた」とおっしゃっていたので、本当はとても頭が良い子だったんでしょうね。 適切な指導のもと学校生活を送れなかったため、勉強も分からず友達もできず、、、

最後に先生が「ご自分のお子さんたちをこの学校に入学させるかどうか考慮中の、ここにいる保護者の方々に伝えたいことある?」と聞いたら、この男子生徒が「悩まずに、この学校に入れてください。 ぜひ入れてあげて。」と言い、胸を突かれました。

この学校の卒業生の半分は、全国に1校だけある難聴特別支援高校に、半分は普通の高校に進学するそうです。

男子生徒は、地元付近の都市部にある普通の高校のコンピューター学科に進学を希望。 健聴者と一緒の授業についていけるかどうか、実際にその高校で授業を体験させてもらい、これならイケると実感し進学を決意したとのこと。 あのまま普通の学校に通っていたら、学校だけでなく人生からもドロップアウトの状態だったのに、この学校に来たことで、自信を持ち聴覚障害者として自分の道を進んでいくことができたんだなと思うと、また胸打たれる思いです。

女子生徒も方も、地元の普通の高校で自然科学を学ぶ予定だそう。 「特別支援学校」は、生徒全員が障害者で、 障害者用に考慮された守られた環境の中にいるので、「普通」の学校や人や環境の中に出て行くのが困難だったり、怖かったり、挫折を感じて引きこもったりするんじゃないかという危惧がありました。 でも、生徒達の話しを聞くと、このような特別な環境の中で、充分なケアのもと、安心して、のびのびと学んだからこそ、不安を持たず、自信を持って、外の世界に出て行くことができるんだ、と思いました。

小さなうちから努力し困難に打ち勝つ精神を身につけさせようと思いがちですが、小さな子に、それは酷。 誰もが最初から強いわけじゃない。 そこで潰されてしまう可能性の方が大きい。 小中学校時代は、愛情と安心感をたっぷり注ぎ、周りの大人達が努力して基礎を固めてあげる期間なんだということを、この学校で知ったのでした。

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