息子の(先天性)難聴が分かったとき、難聴でもバイリンガルなのね〜と感心したのですが、同時に、難聴だからバイリンガルなのだろうか?とも思いました。

多くのバイリンガル家庭の子供達が、保育園や学校に行き始めると、そこで使われるメジャー言語に押され、家庭でのみ使われるマイナー言語を話さなくなる例を聞いていました。 (マイナー言語を聞いて理解はできるけど、話せない、話すのは苦手という。)

でも、うちの息子は、いつまで経っても現地語がぐんっと伸びることはなく、いつまで経っても私に対しては日本語のみで話します。 (それが私にとっては、不思議でした。)

それもそのはず、難聴の場合、特に保育園や学校など、子供がたくさんいて常にガヤガヤうるさい場所では、言葉を聞き取ることがとても難しい。

息子は、常に現地語にさらされる場所に毎日長時間いても、それが言葉として耳に入っていなかった!

対して日本語は、家庭のみで話されていますが、静かな落ち着いた家庭というもっとも馴染みのある場所、話者も母親というもっとも息子に近い人物、常に私と1対1なので雑音も入りません。 (息子は一人っ子で、家で私と二人きりで過ごす時間も多いです。)

そして、私は日本語を話すとき、息子の顔や反応を見ながら、ゆっくり、はっきり、明瞭に、言葉を選んで話すことを心がけていました。 それは、日本語話者が私だけなので、きちんとした日本語を伝えたいという思いから、最初からこういう話し方をしていたのです。 それが、聴覚障がい者と話す時の注意事項と重なっていたんですね。

だから、外野からの雑音(とは現地語のことですが)に惑わされることなく、日本語を保持できたのかも?と思ったのです。

私が徹底して日本語のみで息子に話していたのは、私が下手に下手な現地語で語りかけ、間違った発音や文法を学んでしまったら大変だぁと思ったから。

息子の現地語の方が勝ってきて、日本語での会話が難しくなってきたら、私も現地語で話し始めようと思っていたのですが、そんなことは未だ起こらず。 

私にとっても日本語の方がラクで、今さら現地語で息子に話すのもなんだか違和感。 しかし、補聴器をつけはじめてから、息子も現地語の方が伸びてきたので日本語危うし、かもしれません。

言語の周波数のこともあり、日本語の方が習得しやすい言語なのかも、と思ったり、他の方々からは(難聴者でモノリンガルの方々も)「やはり母親の話す言葉は強いわね」「母親と同じ言葉を話すことで絆を確認し、安心感があるのね」と言われたりしましたが、真意は分からず。

息子の方は、2言語を話すのが単に当たり前のことらしく、自然体。 私との絆や安心感とか、言葉にそれを求めているとは思えません。 (もしかして、ママは現地語が喋れないから〜と思っているのかもしれませんが、笑。)

言葉遊びは好きで、現地語を日本語に訳したり、勝手な歌詞をつくって歌ったり、両言語を自由に行き来しています。

そんな様子を見ていると、難聴は関係なく、個性なのかな〜、とも思います。

バイリンガル、バイリンガルといって、いつまでバイリンガルか分かりませんしね。

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