バイリンガルで聴覚障害と発達障害

5歳で感音性難聴が分かったバイリンガルハーフの息子、難聴学校に入学。 その後、発達障害(自閉症)の診断も出ました。 親としての備忘録、息子の成長の記録、欧州で暮らしているので日本とは言語も環境も異なりますが情報共有としてブログを始めました。

2022年01月

ちょうど息子の誕生日の翌日に、目にした記事タイトル。

自閉症の息子妊娠中、出生前診断を受けた私ーー母より背が高くなった21歳の息子を見ながら思うこと(LITALICO発達ナビ)

前日の羊水検査の記事に続き、またしても偶然とは思えない気が。

こちらの方はご自身が2年間の不妊治療を経て38歳で妊娠、ダウン症のことを心配し受けた羊水検査の結果、染色体には異常なし。

しかし息子さんには重度の自閉症と知的障害があり、シングルマザーとして息子さんと二人三脚で壮絶ともいえる生活が始まります。 そしてダウン症候群の子どもたちを、他人とコミュニケーションがとれていて羨ましいと感じ、出生前診断は無意味だったと思うのです。

出生前診断で分かるのは障害の中の一部であり、自閉スペクトラム症があるかは調べられない。

それは本当にうちの息子も同じ。 ただ、うちの場合、夫の甥が「アスペルガー症候群(当時)」の診断を受けており、伯父も明らかなアスペルガー症候群の特性を持っていたので、私は妊娠する前からその可能性を考えていました。 男の子だと知ったときは、その可能性が高くなったと危惧もしていました。

でも、先天性の感音性難聴は青天の霹靂。 周りの親族にもいないですし(老人性はいます)、聴覚障害の知識も全くありませんでした。

こちらのコラムには「障害のある子どもを育てるのには莫大なお金がかかるだろうと考え産まない選択をする人もいるかもしれません。けれども、療育手帳や身体障害者手帳などを取得することにより、さまざまな福祉サービスを受けることもできます。手当や税金などの減免もあります。」と紹介されています。

うちも、基本的には息子の障害に関することでの出費はありません。 日本に行ったときは、療育手帳や身体障害者手帳の割引が羨ましいなと思ったりします。

しかし、福祉サービスを受けさせないように、妊婦への出生前診断を導入してしまった福祉国家も、(前回書いたように)あるんですよね・・・

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ちょうど息子の誕生日の前日に、目にした記事タイトル。

羊水検査の後の流産…41歳の母が感じた「守勢前検査」判断の意味

記事の内容は13年前の出来事だという。 母親の年齢や羊水検査の時期が、私が羊水検査をした年齢と時期にほぼ重なっていたので偶然とは思えない気がしました。

私が妊娠したのは12年前の40歳の時で、出生前診断を希望しました。 クアトロ検査 (母体血清マーカー検査)もあると聞いてはいたが、ちょうど夏休みで検査をする人がいないとか、あまり確かではないとか、当時はまだ一般的だった羊水検査を受けることになったのです。 流産の可能性もあるという説明は、もちろん聞いていました。

このような検査を受ける場合、まず自分のメンタルは大丈夫か?結果を受け入れ耐えらえるか?心の中でシュミレーションしたりして・・・ でも綺麗事より、生まれた後に責任持って育てられるか、そのことの方が重要でした。

病院の暗い一室で、男性医師と二人っきり、超音波を見ながら採取。 不安はなかったです。 採取された羊水は黄色で、医師から「出血はあった?」と聞かれたのですが、なかったのでそう答えましたが、通常羊水は透明で出血があると濁っているのだとか。

数日後に検査結果が自宅に届き、染色体異常はないと記されていました。 性別が知りたかったら電話してくださいとも。

その後わりとすぐに1回目の超音波検診が入ってたので、性別は問い合わせず、超音波検診の時に教えてもらいました。
 
在住国では自分でクリニックを探すのではなく、最寄りの公立病院にて、費用は無料だけど、最低限必要な診察だけで、例えば超音波検査は2回だけ。(自治体によっては1回だけのとこも。) 必要であれば、もちろん色々して貰えますが、私の場合、高齢出産にもかかわらず、母体も胎児も健康で問題なかったので、本当に必要最小限なことだけでしたね。 それはそれで良かったことでもありますが。

在住国ではなく、他の福祉国家といわれている国で、(もう15〜20年くらい前かな)ほぼ全員の妊婦が出生前検査を受ける制度ができ(拒否することもできる)、その後ダウン症児がほとんど生まれなくなった・・・という報道を見たことがあります。 けっこう合理的に物事を考える国民性だからか。 この制度ができたのは、福祉国家だからこそ、福祉にお金がかからないようにするためだからとか。

日本で報道されていることの裏側に、日本人からするとダークな面があったりします。

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空手再開の記事の後に、書きかけだったもの、バタバタと冬休みが始まり、そのままでした。)

空手を始めたもののすぐにコロナのパンデミックに見舞われ、白帯のままだった息子が、2年後に初めて昇級試験を受けることになりました。

この2年間ろくに練習もできなかったものの、それでもヘナヘナなへっぴり腰で目も当てられない有様だった最初の頃に比べたら、全く違う。 きちんと型が決まっている。 担当指導者からも試験を受けてよいとお許しがでました。

しかし、試験の前にちょっとしたトラブルが。 住んでいる地域に突然局地的に大雪が降り、全市内の公立学校が1日休校になったり、また運動施設の屋根の上の積雪が多く、重みで屋根が壊れるかもしれないと、除雪するまで市内の運動施設が使用禁止になり、息子の学校も空手教室も体育館が使えなくなった・・・ 急遽、試験日とその前の練習日は違う会場を使うことに。 

紆余曲折の後、12月11日にようやく臨んだ昇級試験。(その日も雪が降り積もっていました。)

私は会場に息子を送ってから自宅に戻ったのですが、息子からSMS。「試験料払ってないって言われたんだけど」、と。 ええっ!?支払ったはずの夫は出勤でいないので確かめる術がなく・・・ 「指導者たちがなんとかしてくれるって」と言うので、私はそのまま、息子から「終わったよー」と連絡があってからまた会場に向かいました。

試験が終了してから皆で簡単なクリスマスパーティーをしてたそうですが、私が着いたときは既に皆帰宅の支度をしたり、いなくなった後。 (まぁ、私は他の人たちと顔合わせたり話したりするのを避けていたのですが。 日本人だからと注目されたり色々聞かれるのが苦手・・・)

そして試験料はなんと息子のS校の担任の先生が支払ってくれていた!(担任の息子さんが、うちのより一学年下で、うちより前に空手教室に通っていたのです。息子たちは歳が近いので空手教室で顔合わせると戯れあって遊んだり。しかしパンデミックが始まってから空手で顔合わせることも少なかったのですが、今回は二人とも昇級試験を受けていた。)もう先生と息子さんは帰った後。(試験料の支払いの件を夫に確かめたら、銀行に振り手続きをしたものの、振込先番号が間違っていて振り込まれていなかった・・・本当に夫もこんなマヌケなことばっかりする・・・)

空手の先生方とは軽く顔を合わせ挨拶したのですが、どなたも息子はとても良く出来ていたと褒めてくださり、試験も無事合格。 赤白帯になりました。(子供は半級。つまり今まで白帯で10級だったのが、9.5級になり赤白帯。9級は赤帯。)

息子は空手の先生方を慕っているようで、先生方も落ち着いた人格者という印象を受けます。 本当に空手が好きで空手を理解したいし、空手を多くの人に知ってもらいたいと思っている人たち。 指導者の一人の息子さん(高校生か成人しているか位の年齢)は自閉症で道場に通っています。 だから、うちの息子にも理解がある、理解したり(空手を通じて)助けたいと言う気持ちも持ってくださっているかも。

息子に、「試験は何人かと一緒にしたの?他の子たちが気にならなかった?」と聞いたら、「ううん、自分のことだけ考えてた」と言うので、その精神面での成長ぶりにも驚きました。

息子は周りの子の方が気になって自分のことに集中できないタイプなので。 空手で基礎体力や筋力が多少なりともついてきたと思いますが、精神面でも成長してくれたら、それは空手を始めた意味があると言うものです。 やはり武道は礼儀作法や精神力も身につけるものだから。(そこのところ考慮して子供に武道を進める親も多いと思う。)

しかしうちの息子、帰り際、靴を履きながらに師範に向かって、「バイバーイ、ベニー(←ニックネーム)!」と無邪気に声をかけたので、私は顔面蒼白。 他の先生も思わず吹き出していて・・・

昇級試験ガイドにも(息子は読んでないけど)「先生を敬うこと」と書いてあるのに・・・礼節が身についてない・・・そういう点、こっちの子(日本人じゃない)なーと思ってしまいます。

・・・とここまで書いていたんですよね。 そしてこの昇級試験の後、空手教室も冬休みに。 4週間もブランクが開くことに。 冬休みの間も5回ほど、大人も子供も合同で、教室は開催されていたのです。が平日の夜19時からで、暗くて寒いので親の私も送り迎えが面倒で、結局行かずじまい。

空手教室、今までも、いっつも息子が調子に乗ってきたところで中断になってしまって。 祝日で休み、先生の研修で休み、昇級試験で通常の練習が休み、息子の都合で休み・・・で、今回もまた。

ブランクの後は、いつものことながら、息子は面倒がってやる気をなくし行き渋り。 そして久しぶりの練習は体が上手く動かず、もう辞めたいと言うパターン(ため息)が先週の木曜日でした。 (その後、他のスポーツをしたいと、近隣のスポーツクラブをネットで調べたり。)

でも、それは息子だけじゃなかったんですね。 土曜の練習を夫が見学したところ、息子はしっかりやっていたそう。 そして先生も「今日の皆なは素晴らしかった。この前は全然なっていなかったですね。でも今日は見違えるようです。」とおっしゃっていたとか。 

「練習は定期的にしましょう。 いっぺんに沢山する必要はないのです。 しばらくやっていなかったからと突然沢山すると体を痛めてしまいます。 それはいけません。 又、いつも家でゴロゴロチップス食べながらゲームしているのも体に良くありませんね。 でも、こうやって運動をした後は、ゲームをしても上手くできますよ。 運動するのはゲームにも良いのです。」ともおっしゃっていたそうで。

息子は、その日したオンラインゲームで最後の生き残りになり、「空手の先生が言っていたことは本当だよ! 今日は空手したから僕も絶好調でゲームで勝った!」と納得していました。

今期(1月から6月まで)こそ定期的に練習に行き、次の昇級試験で赤帯目指して欲しいな。

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昨日から学校が始まりました。(うちの公立学校はいつも休暇明けが月曜ではなく火曜か水曜から!他の市よりも休暇は長め、教員の研修日=休校も多いし、教師の優遇ばかり。)あ〜、いつもながら、休暇が長い・・・(グッタリ)

クリスマスや新年というイベントがある学校休暇でしたが、何も祝わなかった、祝えなかった休暇でした。 振り返って見ると・・・

12月20日(月)に息子が「ちょっと喉がおかしい感じ」と言い、水曜が終業式で今週は大した授業もないだろうから休んでもいいよと言ったら、大した授業がないからこそ学校に行きたがる息子。 同じような風邪の症状、或いは感染を恐れて、または早めに休暇を取って旅行にでも行ったのか、クラスメートは月曜に12人中6人しか来ておらず、火曜に5人、水曜の終業式には4人だけだったそう。

そして月曜は夫が帰宅するなり「調子が悪い。コロナ検査を受ける。」と言い、つまり翌日から仕事を休むということ。 火曜、水曜とまだ息子が学校に行っているうちに私は自分のことをし寛ごうと思っていたのに・・・この日で”私の時間”は終わり。(それでブログの続きを書くのも終了・・・)

ちょうどオミクロン株感染が広がって来ていて、またクリスマスの休暇前ということもあり、大都市ではコロナ検査をするのに順番待ちで数日かかっていたのですが、ここは小規模な町だからか、翌日の午後には検査の予約ができました。(薬局に検査キットを受け取り・提出するのは私の役目。)

21日に自宅にいた夫のもとに義母から電話。 義父がトイレで転倒し、義母では助け起こすことができないので、長男に来て助けてもらいたいのだが、仕事中でも連絡取れる番号を教えて欲しいと言う。 長男の方は夫の実家に近い町に住んでいるのに、長男はほとんど訪問に行かないし、何故か義両親は長男家族に遠慮しているようで車が壊れた時も連絡しないでいた。 だから私は自主的に月に1〜2度、電車とバスを乗り継ぎ2時間かけて夫の実家に行き、歩行が困難な義母と認知症が始まっている義父の様子を見、掃除などできることを手伝ったりしています。(私がこっちに来てから、いろいろ世話してもらったので、今度は私ができることをする番。)

後で知ったことなのですが、義父は4日間ほど下痢をしてトイレに篭りっきりだったり、そのため夜も眠れてなかったり、かなり衰弱した状態でトイレで昏倒したらしい(コロナではない)。 長男の方は電話を受け取りすぐに救急車を呼ぶように言ったそう。 救急車で運ばれた義父は容体が安定したのでクリスマス前に自宅に戻ったのですが、私たちはクリスマスに行かないことに。 夫だけ26日に様子を見に行って。

夫はコロナ検査は陰性で、息子もこの週はちょっと鼻がつまり気味だったのですが、それ以上は症状はなし。

しかし義父の方は今度は高熱を出し、自宅に来てくれた看護師の判断で再び救急車で入院(コロナではない)。 年末年始を病院で過ごしました。 12月29日か30日に入院し、1月10日に退院。 でもかなり弱っているそうです。

私と息子は1月1日と休暇が終わる前の7日に義母を訪れたところ、一人で寂しがっているかと思ったら、義母はかなり調子良いようで元気でした。と、夫に報告すると「面倒みなくちゃいけない相手がいないから。自分のことだけやっていれば楽だよ。」そして「自分もそうでしょ。息子が、または僕が、いない方が楽でしょー」だと。

言われてみれば、その通りだ。

さて、ほぼ三週間の息子の冬休み。何をして過ごすか・・・もちろん、いつもの如く家庭学習、教育番組視聴、読書、家の手伝い・・・息子にやらせる予定は頭の中で組んでいましたが、実際は、何時もの如く何もしないで終わりました。 そして、すぐにゲームやYoutubeで画面の前から動かない息子と喧嘩。

だから私はなるべく、このオミクロン株感染が上昇中に外出するのも憚れますが、息子を外に連れ出すこともしなくてはいけない。

12月27日は電車で1時間の(以前住んでいた)都市にある博物館に。 水族館も付属するこの博物館に息子はずっと行きたがっていたけど、控えていて、ようやく。 人が少なめの開館前に行って、早めに帰宅。 29日は、電車で30分ほどの町にある、私が行きたかったティーサロンのアフタヌーンティーに息子と二人で(12月の私の誕生日と1月の息子の誕生日を兼ねてお祝いでもあったのですが、英語の授業でTeaTimeと称してお茶を持ってきて飲むことをした息子、他の男子はお茶なんて美味しくな〜いと吐き捨てていたけど、息子は気に入ったそうなのでアフタヌーンティーもありかなと思って。 それ以来、家で緑茶を入れると私や夫と一緒に飲むようになったし。) その前に息子はクリスマスにもらったお小遣いでおもちゃ屋さんで欲しいおもちゃをお買い物。(おもちゃにはもう興味がないとか言っていたのに、トランスフォーマーとか欲しくなっちゃった息子。) 二人ともご満悦の1日でした。

年が明け1月5日、博物館に行った時に知った家族向けゲームのイベントに。 ここは特設会場で、45分間に時間を区切り1回につき100人まで入場可能の予約制とのことで、事前に無料の予約チケットを5時間分購入し、私はコロナパスを表示しての入場。 会場には無料のマスクも置いてあり私と息子は使用したけど、ほとんどの人は使用せず。 在住国ではマスクは強制ではないので、博物館行った時も、電車の中でも、している方が少数派・・・ だから外出するのもビクビクだけど、住んでいる町にいても何もすることない・・・おまけに冬休み中に使える交通機関乗り放題のパスが出ていたので、それを二人分購入しちゃったので、やっぱりこうして気をつけながらも出歩くしかない。

その前日の4日には隣町に息子の靴を購入に。 住んでいる町に靴屋は1軒しかないので、電車で隣町に行くしかないのよね。

6日、休みだった夫と息子は電車で夫の伯父さんのところへ(クリスマスに会えなかったから)。 私は掃除洗濯買い物・・・ 7日は息子と二人で再び夫の実家へ。(1日にも行ったけど、お正月らしいことは何もせず、私は元旦早々家中の掃除をしました。)

本当は週末に以前住んでいた都市に元ご近所さんと息子の友達に会いに行こうかと思っていたけど、友達のお母さんが風邪気味でコロナ検査を受けるというので取りやめに。 こうしてクリスマスは終わり、新年になり、学校も休み明けとなりました。

息子のクラスは一人(病弱な子が)休んでいただけで、皆な登校し、先生方も問題なさそうです。 ようやく2022年の始まりだけど、コロナ禍の状況がまったく進展していないような、3歩進んで2歩下がるですね。

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