バイリンガルで聴覚障害と発達障害

5歳で感音性難聴が分かったバイリンガルハーフの息子、難聴学校に入学。 その後、発達障害(自閉症)の診断も出ました。 親としての備忘録、息子の成長の記録、欧州で暮らしているので日本とは言語も環境も異なりますが情報共有としてブログを始めました。

2021年03月

S校復帰は順調かと思いきや・・・ 実はそうでもなかった。

先週の木曜日、午前の授業で算数の抜き打ちテストを行ったが、お腹が痛いとうずくまり息子はテストを受けなかった。 その後、昼食の時にトイレに閉じこもり先生が理由を聞いたところ「受けるべき授業(テスト)を受けなかった」ので自己嫌悪に陥り自分を責めていた。 先生が付き添い一緒に昼食をとった。 帰宅したとき落ち込んだ様子かもしれませんが、このようなことが学校でありました、というメールが担任からあった。 しかし、息子は木曜のことは何も言わなかったんですよね。 帰宅早々言ったことは、他の子が女子をいじめていた、なんてことで。 今思うと、自分とは関係ないことを話して紛らわせようとしたのかな。

S校に戻ってからの勉強はどう?授業で分からないとこある?ついていけそう?ってなことを聞いているのですが、いつも難しいところはない、って言っていたのです。 宿題はないと言うし、教科書など家に持って帰らないから、何を勉強しているのか、どれくらい理解しているのかが私には分からない。 聞いても、大丈夫というだけで、具体的なことが分からない。

そして昨日の日曜の夜(月曜に学校に行きたくない不安から)初めて打ち明けてくれたことは、算数の授業が分からないという事実。 しかし息子は、それを認めたくない、自分も他の子たちと同じくらい出来ると思いたい。 先生に聞くのは怖い。 分からない箇所は「?」と書いてそのまま、分からないままにしている・・・

息子は自尊心から「自分が出来ないと認めたくない」ものの、「自分はできないという」という認知のもと自己肯定感がものすごく低い。 誰も責めることなど何一つ言ってないどころか、いつも励まし助けようとしているのに、自分は出来ないダメな奴だと決めつける。 頑張ろうと努力をしないで、ちょっとやって自分は出来ないと貶める。 最初の一回で出来ないとと、もうそれでダメ。(それって、私の両親がそういうタイプで、父は物臭、母は自尊心が高すぎ何もやろうとしない、そして子供のことは自己肯定感を削ぐほど叱咤する。 で、私もそのような性格なのですが。 息子はそんなことにならないよう環境を良くしても、結局負の性格は息子に遺伝的に受け継がれているのか?)

それで空手教室も行かなくなっちゃし(コロナで通常の練習がなくなってしまったせいもありますが)。

算数は、B校では信頼関係を築いている先生から一対一で教えてもらっていたので、分からなければ聞けたけど、進み具合は遅かったと思います。 S校では、クラスメートは10人程とはいえ集団で勉強するのと、まだよく知らない先生ということもあり、授業は分からないまま過ごしていたみたいです。 

これから算数の教科書は家に持って帰ってきて、私と一緒に予習復習をし授業についていけるようにしようと話しました。 でも、私が教えようとしても、息子は分からないとすぐに癇癪をおこし投げ出すから、それも問題。 先生に対しては大人しくしているが、大人しくしているだけで質問もしないし。 今(4年生)のうちに対処しないと、これからいろいろな面で難しくなってくると思うので、先生にも相談の場を授けてもらうことにしました。
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本来息子が通っていたS校、難聴児のための特別支援学校に1年半ぶりに戻ってきました。 2月は午前中だけで、3月から完全復帰し2週間が経ち、先週の金曜(3月12日)に担任教師を交えた三者面談をTeams(オンラインミーティング)で行いました。 息子は学校から教師と一緒に、私と夫は自宅から参加。

4年生になっての新しい担任は、JH先生とAL先生の男性教師二人。 在住国の学校では、1〜3年生が低学年、4〜6年生が中学年、7〜9年生が高学年(日本の中学生)という分け方をし、低学年の先生は圧倒的に女性で、中学年は男女半々、高学年になると男性教師の方が多くなるという傾向があります。 低学年のうちは、まだみんな小さく大人しく先生の言うことに聞き分けが良いが、中学年の思春期から男子は体格が大きくなったり生意気になったりで、女性の先生では体力的に太刀打ちできなくなったり舐められたりするから、らしい。 

それで、息子が1、2年生時担任だった女性の先生方は息子の問題行動を持て余してた面もあり・・・

でもB校では息子の問題行動はほとんどなく、最初S校では以前の息子の印象しかないから復帰を渋っていたものの、B校側は「私たちは、この子のそんな問題行動なんてただの一度も見たことがありません。 ここで出来ること(療育)はもう一切ありません。 以前とは違う子として、生まれ変わったと思って見てください。」と押し通したそうです。

実際、新担任のお二人も「びっくりするほど自然にS校に馴染み、1年半のブランクがなかったように、毎日友達と遊んでいます」と驚き喜んでいるようでした。 息子も側でニコニコ。

私たち親から気になるところ伝えたいこと、先生側から、息子の意見も交え話し合いました。 例えば、休み明け、毎週月曜日になると、やはり息子は学校に行くのが不安になってしまう。 学校で悪いこと、自分が癇癪を起こしたりパニックになったらどうしようと心配だと、日曜の夜から月曜の朝に訴えます。 でも、まぁ、それはみんなそうなんだよ、君一人じゃないよ、大人だって憂鬱になるんだよ、と先生も息子に語りかけます。 

月曜日は体育の授業があるのですが、これがまた息子にとって問題。 ドッジボールで標的にされ怒りと悲しみでトイレに閉じこもり、バスケなど点数で勝負が決まる競技で負けると癇癪を起こし、体操やダンスでは自分は上手にできていないと落ち込み中断し・・・ (運動音痴で体育が大嫌いだった私もその気持ちはよく分かるが。) 息子は自分で自分のことをダメだとジャッジ(勝手に評価、思い込み)してしまうので、そのような考えをしないよう話しました。 

勉強は、B校では一対一の授業で、ゆっくり進んでいたので、最初のうちS校の授業が難しいと感じていたようですが、今のところついていけてるよう。 

友達関係は(まぁ問題もあるのですがそれはまた別に書くとして)、クラスメートの男の子と一番仲が良く、休み時間になるとほとんどいつも一緒に遊んでいるねー、と先生方もおっしゃっていました。

今のところは目立った問題もなく、登校しています。
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B校に転入したときにいた、息子と同じ3年生の女子と6年生の男子は兄妹で、家族は東欧からの移住者ですが、この町に10年以上住み、その子たちもここで生まれ育ちました。 その家族が、B校に通っているとなかなか他の子と遊ぶ機会がなく社会性が身につかないからと、自分たちが通っているP教会(アメリカ発祥のプロテスタント系教会)の子供用のアクティビティに誘ってくれました。

息子は伝統的に元国教会のプロテスタント系教会で洗礼を受け、以前住んでいた都市部でも教会の子供コーラスグループに行ったりして、この町に引っ越してきたときも、その系列の教会の子供用アクティビティとコーラスに連れて行ったのですが、そこが全然良くなくて・・・ それ以来、教会には疎遠でした。

この町の中心部には、元国教会以外にも幾つかの教会があるのは目にしていましたが、P教会はそのひとつ。 毎週金曜の夜、18時から20時まで、小学1年生から中学1年生までを対象にしたアクティビティがあり(別に信者でなくても参加できる)、簡単なお祈りや聖書のお話を聞いたあと、飲み物とサンドイッチという軽食が出され、後はゲームをやお絵かきなどいくつかのグループに分かれ好きなことをして過ごします。 またはテーマを決めてダンス大会やボーリング大会を催したり、盛り沢山。 また子供たちが常に30人ぐらいは来ていて、その多さにびっくり。 というのも、元国教会の方は子供は2,3人しか来ていなかったり、それも性格悪い子ばっかりだったので。 

世話役の大人、教会の牧師さんがリーダー(責任者)で、保護者や高校生以上の若い子たちがボランティアとして参加、も良い人たちで、息子もすっかり気に入っていました。

そして、気づいたのですが、発達障害や知的障害がありそうな子も、けっこういたんですね。

そんな良い機会に恵まれたのに、コロナ禍でほぼ中止になってしまいましたが・・・

思いがけなかったのは、そのP教会から意外な繋がりが出てきたこと。 まだコロナ禍前年の9月、新学期が始まった頃、息子を迎えに行ったら20時から始まる青年の部(中学生以上)の人たちが待っていて、そこにいた中年の女性が私を見て声をかけてきたのですが、知らない人なので面食らっていたら、なんとS校に新しく赴任したアシスタントの先生だとか。(しかも私達が前に住んでいた都市から引っ越してきた!) そのとき息子はB校に転入した後だったので、私たちはS校とは接点もなくなっていたのですが、その先生はうちの息子のことをご存知だったようです。

同じ頃、息子の空手教室(学校の体育館)に行って終わるのを待っていたら、小学6年生くらいの女の子が私を見て気さくに声をかけてくる、知らない子なので面食らっていたら、なんとP教会のアクティビティに参加している子で、私のことを見かけて知っていたらしい。(アジア人だから目に付きやすく、覚えられやすいのかも・・・) その子は以前ここの空手教室に通っていて、ふらっと訪れたらしいのですが、まだこの地元に知り合いのいない私は、なんとも狭い世界(町)なのかな〜と、驚くというか、呆気にとられるというか。

そして極めつけ、(昨年の)夏が終わり新学年になり、息子はB校4年に。 P教会に誘ってくれた同学年の女子は普通校に転入することになり、息子より1学年下の男の子が新たに転入。 この子は新学期前、学年末のとき体験入学にご両親と一緒に来ていて、息子とは既に旧知の仲。 ADHDはないようで、大人しくて礼儀正しい子。(息子いわく、朝に学校で「学校なんか行きたくないー」と大暴れすることがあるらしいが。) P教会にはしばらく(コロナ禍のため)行っていなかったけれど、新学期が始まって様子見で連れて行ったら、なんとその転入生がいた! 息子が、H君のママはP教会のアクティビティで働いているのよ、と言うので、私はてっきりボランティアで働いていると思っていたのです。 つい最近まで。

ところが、H君のママは、このとき(新学期が始まった9月から)新しく赴任したリーダーさんだったのです!! 

この後、P教会のアクティビティは中止になったのですが、先々週の2月休暇の際、特別に子供用のアクティビティを昼間に開催していたので、することも行くところもない息子に参加していいよと行かせました。 たくさん子供がいたら心配だけど・・・と思っていたら、初日の参加者は子供6人大人2人だけで、そのうちの一人はH君。 他の日も似たような人数だったので安心でした。 H君も毎日来ていて、でも私はH君のママを見たことないなーと思っていて、しかし息子に聞くとH君のママ居たよと言う。 そして初めて気づいたのです、新リーダーがH君のママで、それゆえH君はいつもP教会に(ママと一緒に)いたのだと!

H君は近隣の小さな町(村)に住んでいて、タクシーでB校まで通っている。 もしかしてH君のママは、地元にいても一緒に遊ぶ友達がいないH君のために2月休暇のアクティビティを催したのかなぁ、とふと思いました。 そのうちの1日はバーベキューをしたのですが、子供は5人しか来ず、その日はB校の同級生だったLちゃんも来ていたので、3人はB校生徒(発達障害児)だったという・・・ 

息子の学校のために引っ越してきた町ですが、S校からB校へ、そしてP教会へと、思いもしない繋がりがでてくるものです。

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2月の最後の週にあった休暇が終わり、息子は3月からS学校(聴覚障害児の特別支援学校)に戻りました。 日曜の夜、突然ベットの中でむっくり起き上がり「明日S校に行くの難しいかも。 1週間も学校休みだったから。」と急に不安になってしまった息子。 確かに、普通の子でも、日本でも、日曜の夜は鬱になるし、ゴールデンウィークの後は学校や仕事に戻り辛い。 発達障害がある場合は余計に不安が大きく、通常の生活に戻るのが困難。 (なぁーのーにー、こっちの学校は2ヶ月ごとに1〜2週間の休暇があって、リズムを崩され立て直すのが大変なのよね。)

月曜の朝も不安で、私も「無理だったら先生に言ってお家に帰ってきなさい」と言って送り出し・・・ でも、早退することなく、「良かったよ〜!」と帰ってきました。 ほっ。

問題なくS校に通えそうだけど、これもB校(発達障害児の特別支援級)のおかげ。 本当に素晴らしい先生方に恵まれ、息子は何より勉強に対するモチベーションを高めることができた。 (S校では1年次で勉強につまずき、そこから全てに苛立ち、コントロール不可になってしまったように思う。) そして、素晴らしい先生方のおかげで、大人を信じ信頼することができるようになったと思う。

S校の方も、自分たちの学校に誇りを持ち生徒たちのことを一番に考えている素晴らしい先生方なんだけど、ちょっと真面目すぎて融通が効かないというか、問題児(発達障害児)の扱い方を分かっていなかった。(S校息子以外にも発達障害児はいるにもかかわらず。) 順応な子たちにはいいんだけど。

B校は、さすが発達障害児を理解している、だけでなく、先生方の人徳もあり、本当にこの先生方に出会えたのは息子にとって宝です。 特にM先生(男性)、長髪と皮のベストがトレードマークのバイカーで、50代と思われるベテラン。 大らかで包容力がある、ワイルドな風貌だけど、とてもきめ細やかに生徒に接しているのが分かる。 絶対的に信頼できる人。 なかなかいないでしょ、こんな理想の先生。

最初の面談から、学校間のコーディネート、全般的に私たち親と息子と関わってくれたL先生。 彼女は子供の頃に旧ユーゴの紛争から逃れて、この国に移住した人。 だからか、現地の女性の先生(大人しくて、真面目で、あまり融通効かない)とは違う。 一生懸命だけど抜けたとこもある、ちょっとADHD入ってますか?と勘繰ってしまう、でも憎めないし信頼できる先生。 このようなタイプだから、発達障害児ともやっていけるのかな。

もう一人の男の先生は40代で大人しくて真面目、もう一人の女性の先生は30代で特に個性のない人だったけれど、二人ともきちんと勉強を教えてくれていて、このような普通の先生がいるのも、バランスが良かったと思います。

それから、教師ではないけれど、いろいろサポートしてくれるアシスタントの先生が二人。 このお二人は本を読んでくれたり、日誌を書いてくれたり。 一人は50代の大らかな女性、もう一人は30代で小さな農場に住んでいます。 それでS校の生徒たちを自宅に招き、動物や農場に触れさせてくれました。 勉強を教えてくれる先生じゃないけど、いろいろ世話してくれたり、教えてくれたり、いろいろな体験をさせてくれたり、お話しや相談できたり、甘えたりできる大人が身近にいるって、贅沢ではないでしょうか。

広い応接間に暖炉やキッチンがあり、いくつかの個人部屋がある家を舞台にした、簡素な住宅地にある学校。 うちはアパート住まいで、周りに祖父母や伯父叔母もいない境遇なので、息子に取っては本当に、10歳前後をこのような環境で過ごせたことはラッキーだったと思います。

現地語ネイティブの大人たちと、一対一で集中的に会話できたのも、息子にとっては良かったのではないかな、言語発達の面で。 うちの場合、家庭環境が半分外国語(日本語)なので。 またS校だと生徒たちも耳が聞こえにくいし、会話から言語を学ぶ点では十分でないと思う。 聞こえる子供たちと交流ができたのも良かった。 新しい友達もできたしね!

B校最後の日、私はメロンパンを作って持たせました。 毎週金曜は学校でお茶会も、楽しかったね。 本当に、素晴らしい学校でした。
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