バイリンガルで聴覚障害と発達障害

5歳で感音性難聴が分かったバイリンガルハーフの息子、難聴学校に入学。 その後、発達障害(自閉症)の診断も出ました。 親としての備忘録、息子の成長の記録、欧州で暮らしているので日本とは言語も環境も異なりますが情報共有としてブログを始めました。

2018年04月

息子の学校での言動が問題になり、特別なミーティングの場を設けることになりました。 学校、療育など子供が世話になっている機関、そして親が一堂に会し、厳密な形式のもと話し合いの場を持ち、その生徒にとって最適なプランやロールモデルを考える、というもの。 4月19日の朝9時から1時間半、S校にて。

学校からはクラス担任、副校長、書記として特別教育専門家が参加。 療育センターからは「電車恐怖症」の件でお世話になった特別教育専門家が来てくれ、場をまとめる者としてこの会合を主催する機関から一人出席。 このような機関や会合の場は、現在住む地域(と近隣の自治地による)独自のもので、以前住んでいた町にはないものでした。

機関から派遣された人が進行役、岩のように揺るぎない風格を持つベテラン。まずは私たち親から息子の現状を話すことに。

「1年生になってから息子がずいぶん変わったと感じている。学校は楽しい場ではなくなり、勉強することに苛立ち、家でも課題を与えても、思いどおりにならないと自分や親をぶとうとする。 2月の休暇あたりが一番酷く、最近は少し落ち着いてきた。 突然電車に乗れなくなったが、それは克服し乗れるようになった。 課題は、例えば算数ドリルなど、少しずつ分けるなど工夫してやれるようになった。」

次に学校のクラス担任の話。0年生からの担任で、息子たちの入学と同時にS校で教え始めた若い(30代前半かな)の先生。

「0年生のときは特に問題なかったが1年になり、特に課題を与えるとき難しくなった。 アグレッシブになり、特に音に対して敏感で、音を立てたとクラスメートに対しても激しく怒り始める。 いろいろ対策を立て対応しているが、それで出来るときもあれば、次の日には出来なくなるなど、変化が激しくなすすべがない。 クラスメートの音や行動が気になり集中できないようなので、授業中は一人机の周りに覆いをし取り組ませている。 食堂での給食は特に音に敏感になる(他の子たちが食べるときに出す音に耐えられない)のでイヤーマフをつけ一人離れたところで食事をしている。
 
休み時間にサッカーをしていたとき自分のところにボールがこない、自分もボールを蹴りたいと怒り出し、仲裁に入った教師をぶったり首を絞めようと暴れた。 給食の時年下の生徒の首にナイフを突きつけたこともある。

年齢相応の課題に取り組む能力はあるが、十分ではなく、絵をかいたりタブレットをしたがり、自分がしたいことをやらせてもらえないと怒る。 クラスメートたちに危害が加えられ、安全性が保てず、授業もままならない。」

最後に療育センターの特別教育専門家ですが、なんと後2日で定年退職だそうです。 数回しか会っていないけれど、夫がこの先生は信頼できる人だと絶賛していた。 

「電車のパニック恐怖症を克服するために、数回自宅で会ったが、彼はとても賢く良い子。 電車に乗ることができたと嬉しそうに言い、一緒に彼の写真アルバムを見たとき、いろいろ説明でき、言語能力が高いといえる。療育の方ではこれから医師、作業療法士、その他のサポートをしていくつもりだ。」

学校から息子のことを散々に言われたからか、療育センターの特別教育専門家は息子のことをとても褒めてくれた。 

その後は学校側があげる息子の問題行動について、進行役の人と療育センターから、それは良くない、自閉症の子供とはこういうものだという、息子を擁護あるいは学校のやり方の非難ともとれる発言が続き、私たち親はとくに口を挟むこともなく聞いていたのですが・・・

副校長が切れだした。

「○○(息子の名前)じゃなくて、こっちは他の生徒の安全面を言っているのよ! 聴覚が問題じゃないんだからこの学校にいる必要ないわ。 自閉症の学校に入れなさいよ!」

自分が思うように発言できない苛立ちを隠しもせず、感情的に、親の前で、この子は問題でうちの学校には必要ないから出ていけと言う。

この副校長も息子たちの入学と同時期の2年前にS校に赴任してきた人で、私が顔を会わすのは初めて。 それまでS校には副校長がいず、教師たちが校長のサポートをし、入学前に対応してくれていたのも全て現役教師だった。S校の教師たちはみんなS校の生徒たちを大切にし、生徒たちのために努力を惜しまないと思っていたし、校長も「息子さんの自閉症の診断を聞きました。 でもこちらもきちんと対処していきますので安心してください」と声をかけてくれたし、最近の学校からのニュースレターにも「聴覚障害を持つ子たちは他の障害を併せ持つ割合が高く、発達障害もその一つだが、S校はその面でも豊富な経験があり真摯に対処していく」と書いてあったのに。

親として悲しくなるし、不信感も募る。 これは副校長の個人的意見なの? 学校側の意見なの?

進行役の人は淡々と話し合いを進めていき、今後必要なことは、1.息子にはその日やることが明確に伝わるよう絵を用いた計画表を渡し理解をさせる。2.サポート機関に申し込みを申請 3.加配をつけるよう手配する。4.絵を用いた会話をし理解を深める、ということで終了。 次回の会合を同メンバーで5月30日に行うことになりました。 

療育センターの人だけでなく、この進行役の人も、S校の特別教育専門家も定年間近だそうで会合が終わった後に定年について雑談していました。 3人とも落ち着いた、揺るぎない信念で子供たちのために働いてきたことを感じる人たち。 定年退職後を楽しみにしているようだし、定年の時期を先延ばしにはしないとおっしゃっているが、いなくなってしまうのは心細いです。
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事の始まりは1か月前の3月15日木曜の夜、息子の歯を磨いていて左前歯の裏の歯茎がポッコリ膨らんでいるのに気が付いた。 翌日休みだった夫が朝、歯医者に電話し11時に予約が取れたので、学校に連絡を入れ早めに迎えに行き、そのまま歯医者へ。 緊急手術をすることになり15時に再び歯医者に出向くことになったのですが、この日は例の心理士さんたちが来る日でした。 心理士さん達は事情を聞いて帰り、夫と息子は歯医者へ。 しかし、もちろん一筋縄ではいかず・・・(1か月かかることに。)

左前歯(乳歯)を抜くことになり、歯科医師は息子には説明し、最初のうちは素直に軽い麻酔を嗅がせられたり歯茎に薬を塗られたりしていた息子、麻酔の注射をする段階で大暴れ。 今日は治療はできない状態なので出直すことに。

この歯は息子が5歳のとき、保育園で自転車同士ぶつかり前歯打って血が出たうえにグラついてしまったので、その日のうちに歯医者に見てもらい、歯の色が変ってしまったらもう一度受診するように言われ、数日後に黒っぽくなってきたので歯医者に連れて行き丁寧に診てもらったけれど、結局乳歯だし歯はきちんとついているので生え変わるときまでそのままにしておくことになったのです。

色が変わったのはバクテリアに感染したためだそう。 その歯は既に死んでおり、そこからまたバクテリアが入り、今回膿んで腫れてしまったらしい。 歯は抜かないと腫れも引かないが、息子のことなので、そうは簡単に事が運ばない・・・

翌週の月曜に今度は私が歯医者に連れて行ったけれど、名前を呼ばれたとたん逃げ出す(走り出す)息子。 追いかけて連れ戻すこと、数回。 結局あきらめ、隣町の大きな歯科医院(公営の歯医者なので、以前住んでいた町、現在住む町、隣町、全て患者の情報は共有され、子供の治療は無料)に、痛みを感じずに手術ができる特別な設備があるので、そこで治療をするよう紹介状を送ってもらうことになりました。

しかし、その件でまた翌日に私に電話があり、夫には別に「乞う連絡」と留守電があり、翌週のイースター休暇中に再び私のところに電話があり、息子の歯茎は腫れたままで(最初、歯の後ろが腫れていたのに、それが引っ込んで前がポッコリ丸く腫れている状態)、隣町の歯医者に予約を入れるっていっても、今は復活祭で金曜と月曜も祝日休みなので、結局その翌週の火曜日4月3日に診てもらうことに。

学校早引きして電車乗って(乗れるようになって良かった・・・)駅からバス乗ったら町外れになり、林の中をみぞれ(ああ、4月なのに)が降る中、最新設備があるのにどんな辺鄙なところなの~と5分位歩くとデーンと古めかしくて大きな建物が(周りは運動場なのですが、昔は精神病院とかだったのかな・・・)。

さて、診察してくれたのは若ーいお兄さん先生で、とても穏やかで子供の扱いが上手い。 ここでは初診なので、息子について年齢や学校といった基本的なこと、アレルギーや他の病気など健康面について質問してはカルテに記入していきます。 息子には難聴があること、自閉症と診断されたこと、そのような情報は医師も知っているけれど確認しているよう。 耳の方はここの病院に通っているの? 療育センターでの主治医は?と聞かれ、療育の方はこれからなので主治医などまだわかりませんと答えると、「あそこの(私たちが住む町の)療育センターはすごくいいよ、優秀だよ」と歯科以外のことにも精通しているよう。

学校のこと、息子が日本語も話すことなども聞いて、問診に時間をかけるのは息子と打ち解けるためなのかな? 息子も楽しそうにハキハキと答えます。 それから診察の椅子に移動。 すべての歯を念入りにチェックし、歯はよく磨けていますと褒められました。(まだ親が仕上げ磨きをしています。 私が子供のころから虫歯に悩まされ、ほとんどの歯を治療しているくらいなので息子に同じ思いはさせまいと、気を付けています。)

今回の治療には Midazolam という麻酔の薬を使用するのですが、牛乳やグレープフルーツを摂取していると効かないとのこと。 息子は今朝牛乳飲んだし、給食でも飲んだようなので今日は抜歯をせず、歯を磨いてフッ素を塗って診察を終えました。 (ほぼ1時間かかった。) 1週間後の火曜に抜歯をすることになり、牛乳とグレープフルーツは摂取しないように言われ、薬はおしりからと飲むのとどっちが良いかと聞かれ、飲む方がいいと答えたのですが、先生は「おしりからの方がいいんじゃないかなぁ。」

私はおしりからって注射だと思っていたら、渡された Midazolam (ミタゾラム)についての説明書きを家で夫と読んでみると、座薬を使ってのおしりからの注入でした。 夫も「薬を飲むのは変な味がして胃もグルグル変な感じになるだろうから、おしりからの方がいい」との意見。 (それで先生も「薬の後にジュース飲もうか?」と言っていたんだと了解。) 夫が息子に「おしりから薬を入れるよ」と説明すると、息子はかえって面白がり承諾したのですが・・・ やっぱり飲ませる方が良かったかも!

抜歯は朝9時の予約で薬を服用した後は(麻酔がきいてフラフラになるので)学校に行かせることができないので、この日は丸一日欠席。 歯科医院ではまずベットのある部屋に通され、麻酔薬の注入ですが、私はカプセル状の座薬かと思っていたら注射で液体の注入、しかも量がかなりある・・・ 不安を覚える私。 息子は機嫌よくズボンを下ろし、私の膝の上でうつ伏せになっていたのですが、注入されているときにギャーと悲鳴をあげ、その後だんまり・・・ 不安を覚える私。 先生は5~10分したら効いてきますよ、と部屋を出て行った。

私が息子に「大丈夫?」と声をかけたりしていたが、息子、顔を伏せたまま無言、それから私に殴りかかってくる! かなり怒っているようで(痛かったらしい)、その後は怒りのため私にガンガン殴りかかってくる、しかも容赦なく。 ミタゾラムは麻酔導入薬や鎮静剤として使われ、不安や心配を抑え、薬が効いている間に何が起こったかの記憶がないそうだけど・・・ 怒りには効かない!?

体の動きも抑えられくるけど、息子は暴れる暴れる。 先生が戻って来て声をかけるが、怒りは収まらないしフラフラしながら暴れまくる。 先生が息子を抱きかかえ診察室に連れて行ったけど、診察台に寝かせるのも容易ではなく、横にパソコンのスクリームを置き Youtube で幼児用の動画を見せても、息子は無意識に手足をがむしゃらに動かし椅子から降りようとする。 薬が効いていても息子の力は強く、私も抑えるのに必死。  

ペンチでの抜歯はあっけなく終わったけれど、息子の怒りが落ち着く様子はなく、またベットの部屋に戻ったが、息子の不機嫌は直らず。 持参のタブレットでゲームを与え大人しくさせたけど、1時間は(麻酔が効いているので)休んでいなくてはならない。 結局、麻酔が切れるまで不機嫌のままでした。

歩けるようになり、病院を後にし、バスに乗って某ファーストフードのキッズセットを買ってやった頃に薬の効果も抜けたようで、走り回ったりハンバーガーとおまけに大喜びだったけれど。 (反対に、買うつもりのなかったバーガーセットを買わされたり、お昼時で散々待たされたり、そのためにバスに乗り遅れたり、息子の切符が誤って大人料金になっていたり、疲れていた私の方が不機嫌になっていったのでした。)

息子は「いつ歯を抜いたの? 全然痛くなかったよ。」と不思議がって何度も私に聞き、本当に何も覚えていないようですが、「でも、怒っていたのは覚えている?」と聞くと、それは認めた。 痛くないのは良かったけれど、あんなに怒りで暴れるなんて・・・

クラスメートの中では一番月齢が高く背も高いけれど(しかし痩せていてヒョロヒョロ)、息子の乳歯はまだ下前歯が本しか抜けていない。 (クラスメートのほとんどは、かなり生え変わっているというのに。) 抜いた上前歯も、いつ永久歯が出てくるのか。 それまで歯抜け顔のまま。

虫歯はないので1年半に1回の検診だけですんでいたのに、1か月でこんなに通院することになるなんて。 5月3日に経過をチェックするので地元の歯医者にまた行かなければならない。 しかも9時45分という中途半端な時間なのでまた学校を休ませなくてはならない。 勘弁して。
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ことの始まりは昨年12月半ば(息子8歳になる1か月前)。 その日は私がずっーと(息子と一緒に)行きたいと思っていたクリスマスマーケットに行けることになり、そこでボランティアとしている夫の伯父さん(70代のアスペルガー症候群)に案内してもえることにもなり、前日に伯父さんへのお土産のケーキを焼き、当日は天気にも恵まれ、準備万端で出かける矢先、息子が電車に乗るのが怖いから行きたくないと言い出した。

息子は電車が好きで、次に乗るのはいつかなーと楽しみにしていたのに、突然そんなことを言い出し、駅までの道すがら(約5-10分ほど)もブツブツ言いながら落ち着かない様子。 今までこんなことなかったのに。(前回電車に乗ったのは10月末だったので、ちょっと久しぶりでした。)

駅に着いたがやはり乗りたくないと騒ぎだし、実際電車の中に入ったら、パニック状態になり電車から飛び出し、どうしても行きたい私とプラットフォームで怒鳴りあう始末。 どうしようもないので結局家に戻り、その日の計画が流れたことは、楽しみにしていた私の方がショックでした。

なぜ突然電車に乗るのが怖いと断固拒否しだしたのか分からず、その翌々週のクリスマスイヴ前日に、今度は以前住んでいた町の近所だった老夫婦を訪問することにしました。 最初は電車に乗って遊びに行くことを承諾したものの、やはり電車に乗るのは怖いと言っている。 そして、実際に駅に着くと、前回とまったく同じ展開! 

そしてクリスマスイヴに夫の実家、つまり祖父母に会うのも拒否。(結局、イヴに夫が一人で、クリスマスに私が一人で夫の実家に行き、息子は両日とも家で留守番。) クリスマス休暇中もどこにも行けず(うちは車がないので)、自宅と近所で過ごす日々・・・は、私にとって辛い!(どっか遊びに行きたいのは私の方。)

大好きな伯父さん(夫の兄)のとこにも行こうとせず、皆、突然どうして・・・と首をかしげる中、唯一「かわいそうに。 分かるよ、分かるよ、その気持ち」と息子に理解をしめしたのは、自閉症スペクトラム(当時はアスペルガー症候群と診断された)夫の甥っ子(息子にとっての従兄、既に20代)と前述の夫の伯父(義母の兄)。 やはり分かり合えるものなのかしら?

このまま電車に乗れないままだったらどうしよーと別の意味でパニックになったのは私で、それというのも息子と私は今年の夏休みにまた日本へ帰省する予定で、既に航空券を購入してあるのです、11月中に。

電車に乗れないということは、飛行機も怖くて乗れないと息子は言い、既に本人は日本へ行けない宣言をしている。 航空券はキャンセルの場合の保険をかけていないので、行けなかったらすべてパァーだし、2か月もの長い夏休み、ここで過ごすことになってしまう! なんで今ー、なんで突然ー。

で、1月に息子のカウンセラーさんに初めてお会いしたとき、この突然の「電車恐怖症」についても話し、心理療法士と特殊教育専門家による面談が4回組まれることになったのです。 が1回目に病院に行ったとき、息子は病院の建物が嫌だと(つまり電車と同じような理由で)逃げ出し面談ならず・・・ と前回に書きました

それで2回目の面談は夫だけ出向き、次回から我が家に訪問していただくことに。 翌週の3月14日の朝に来ていただきました。 心理士さん、特殊教育者さん共に定年もそう遠くないようなお年頃の女性。 息子には事前に話して合ったし、家にお客が来るのは好きなようで、息子は外まで迎えに出たり、家の中を案内したり、自ら電車に乗るのが怖くて乗れないということを説明し始めたり、機嫌よく愛想よく接していました。 心理士さんの方は東欧の国出身で、現地語にお国訛りが強く出て、息子が「なんて言っているのか分からない」という一幕もありましたが。 しかし、30分ほどすると息子も飽きてきたらしい。 台所のテーブルに着き、お二人が地図などを広げて、ここからここまでバスで行くとか電車で行くとか、そんなルートの話をし、おもむろにオモチャの電車を取り出し説明しようとしたところで、息子、両手をターブルの上にバンッとおき立ち上がるとプイッと出て行って、寝室の中に閉じこもると、もう出てこない。

息子の気持ちを代弁すると「やってられないよ。 いい加減にしてくれ。」  きちんと電車に乗れないことは説明したのに、いつまでたっても電車の話してくるし、あげくに子供騙しのオモチャ持ち出して …って私も思った(笑)。
 
2日後の金曜の午後に再び訪問してくださったのですが、この日は息子の歯茎が腫れ歯医者で緊急手術(←これがまたひと騒動で…)することになり、お二人は挨拶とお見舞いだけ言って帰っていかれました。

しかしその前日に息子は、週末に電車で以前住んでいた町のご近所さんのとこに行こうかな、と言い出していたのです。 

実際、日曜に何の問題もなく、以前のように電車に乗ったのでした。  本当に、今まで何だったの…

翌週の火曜日に、また心理士さんと特殊教育者さんのおばあちゃんズが訪問してくださった際には息子も上機嫌に迎え、電車に乗れた話をし、日本にも飛行機に乗って行けると言い、日本の写真アルバムを見せて説明したり、私が焼いたメロンパンを食べたり、最後にお二人が持ってきたメモリーゲームをし、お開きとなりました。 今日は楽しかった、今度は病院の方にも行けるよーと、にこやかに見送る息子。

今までは、なんだったんだー!?

そして、おばあちゃんズ先生方は何か意味があったのだろうか、何を息子にしてくれたのだろうか…とも思うのでした。 でも多分、お二人が来てくれたから息子は電車に乗れるようになったんだと思います。 「こんなかったるいこと続けるなら、さっさと電車に乗った方がいい」と悟ったのかも。 それは私の胸の内、ですが(笑)。

今日はヨーロッパではイースター(復活祭)で、息子は夫と一緒に夫の実家に行きました。 祖父母に会うのは5か月ぶりです。
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