バイリンガルで聴覚障害と発達障害

5歳で感音性難聴が分かったバイリンガルハーフの息子、難聴学校に入学。 その後、発達障害(自閉症)の診断も出ました。 親としての備忘録、息子の成長の記録、欧州で暮らしているので日本とは言語も環境も異なりますが情報共有としてブログを始めました。

2016年06月

補聴器カバーの自己流編み方です。

ここ(在住国)では使用しないようですが、日本の子供用補聴器について検索していて、日本では補聴器カバーなるものを使うのを知り、でも詳しい作り方は分からなかったので、自己流で道具を揃え作ってみました。 

基本的に、レース糸(あるいは刺繍糸)を使い、レース用のかぎ針で編むようです。

こっちでは、ハンドメイド用品ってけっこう高い上に品数も少なかったりするのですが、セカンドハンドのお店を探すと、昔のおばあちゃん達が使っていたものが出回っていたりします。 レース用かぎ針、レース糸、刺繍糸、全てセカンドハンドのお店で見つけました。 (日本では、手芸屋さんに行けば、全部揃っていますよね。)

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刺繍糸とレース糸の他に、色のついた亜麻素材の糸もありました。 (写真では、紫と黄色の糸。 赤は刺繍糸です。) レース糸よりも太めでしっかりしているので、初心者には編みやすかった。 それで編んだのが、アングリーバードのキャラクター(黄色い鳥のチャック)。

レースかぎ針は6号か10号(番号が大きい方が細くなります)を使い、細編みで。 

最初に鎖編みですが、横(の長さは)14目にしました。(8cm弱という横幅。) 糸の太さによって編み目の数を少なくしたり増やしたり決めます。 それから、どんどん細編みで編んでいって、高さは約2cmになるまで編みました。

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次に、顔を刺繍します。 刺繍糸2本でクロスステッチ。 

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最後に、横を合わせて綴じ、筒状にします。 出来上がり。

刺繍糸で編む場合は、6本全部使うのではなく、ほぐして2本にして編みます。 刺繍糸は柔らかめで、多様な色もあり、レース糸よりも編みやすく、いろいろな応用できると思います。

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難聴でバイリンガルでもある息子の言葉の発達について記録しておきたいと思いつつ、なかなか時間が取れないので、思いだせる限りまとめて、6歳前半として書いておきます。

難聴でもイントネーションは完璧で、日本語と現地語をしっかり使い分けています。 相変わらず、日本語の単語を現地語の会話で使うときは、日本語が現地語のイントネーションになります。

教会の大理石の床にアンモナイトなどの化石が入っているのを見つけ、他の子に現地語で「見て、カセーキがあるよ!」 化石という現地語を知らなかったので、化石を日本語で言っているのですが、イントネーションは「カセーキ」となっていた。

しかし、その逆はあまりないんですね。 日本語を喋っていても現地語の単語は日本語発音にはならない。

つい先日のこと。 保育園に Zackarias という名の子がいるのですが、迎えに行ったとき、その子のTシャツが真ん中でビリッと破けていたので、夜添い寝しながら「なんでザッカリアスのシャツは破けていたの?」と聞くと、「Kが破った。 そしてZackariasKのシャツを破ってしまったのよ。 ところでママ、 Zackarias は現地語で、サッカリィアースって言うの。 ザッカリアスは日本語よ。」

つまり、私の発音は日本語的で、ここでは(現地語では)間違っていると指摘されてしまった!!

私は Zackariasという綴りを、そのままザッカリアスと平坦なカタカナ読みをしていたのです。 しかし、息子にとって、私の発音&イントネーションは日本語であり、正しくはサッカリィーアスだと。 私、考えてもいませんでした。

現地語の発音は、既に息子の方が達者です。 息子が自転車で走り、その後から私が歩いていたときのこと。 前からやって来たバギーに乗った小さい子が息子を指し、下っ足らずに息子の名前を連呼するのです。 すれ違った後に、「今の子、あなたの名前を言っていたけれど、知っている子?」と聞いたら、息子は呆れたように私を見て「(現地語で)自転車、自転車って言ってたんだよ!」 ええっ、私には発音が聞き取れず、息子の名前に聞こえた・・・まったく違う単語なのに。 しかも、私に分かるようはっきり言った息子の(現地語で自転車という)発音は、完璧。 

さっきの、ザッカリアスとKがお互いのTシャツを引きちぎった話なのですが、「なんでそんなことしたの?」と聞くと、「不満だったのよ。」という息子の答えに唖然。 「不満」なんて単語(日本語)、保育園児が使うか!?

一体、息子はどこから難しい日本の単語を学んでくるのだろう???と考え、もしかしたら『機関車トーマス』かも(Youtubeで日本語版を見ていた)。 ナレーションで「ディーゼルは不満だった」とか言っていたような。

そのトーマスの10分ほどのお話なのですが、なんと息子はセリフの全部を暗記していて、突然最初っから最後まで語りだすことがあるのです。 ナレーションからおのおのキャラクターのセリフまで、ひとつの番組の始まりから終わりまで。 発音は不明瞭なところがあり、意味はあまり分かっていないようなのですが。

それで「申し訳ございません、ってどういう意味?」「そのときトーマスがやって来た、ってどういう意味?」と、全ての言葉(文)について「どういう意味?」と聞いてくるので、参る。

この「どういう意味?」攻撃、日本語でも現地語でも、今でも続いていますが、本当に意味が知りたいってわけではなく、ただ聞いてくるだけなような。 こっちは一生懸命説明するのですが、それも聞いて理解することはないような・・・ とにかく、これは疲れます。 思わず「いい加減にしろ」と言ったら、「いい加減にしろ、ってどういう意味?」と返ってくるし。

単語の意味の理解で、日本語と現地語が上手くつながらず、おかしくなることもよくあります。 例えば「ボクの子供」。

「あの子はボクの子供なのよ」とよく言っているので、「お前にまだ子供はいないだろーが」とツッコミたくなりますが、状況を考え、やっと意味が分かりました。 「友達」のことなのです。

それというのも、保育園で先生は園児に(現地語で)「子供たち」と呼びかけるんですね。 それで息子は保育園の子供たち、息子にとっては友達だけど、日本語にそのまま訳し「ぼくの子供」って言っちゃうみたい。

それで、「子供じゃなくて、友達でしょ」と教えるのですが・・・

ある日、パパの言語聴覚療法に行ったところ、言語聴覚士さんのお子さんが急病でキャンセルになったことがありました。 で、家に戻って来たとたん私に向かって「先生の友達が病気だったのよ!」

いや、それは「先生の子供」だっ!

「子供」と「友達」という単語が、息子の頭の中でごっちゃになってしまいました。

語尾が「~のよ」「~かしらぁ」となるのは、私の影響(母親しか日本語話者がいない状況だから)でしょうね。

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先月お会いした、ご本人も難聴であり補聴器を使用し、多くの難聴の子供たちとその親御さんと接してこられている、難聴児のための特別教育的カウンセラーであるМさんは、この1年、息子がすんなり補聴器を受け入れ使用していることに大変感心していました。 5歳で難聴が発覚し補聴器をつけ始めたのがかなり遅かったのにも関わらず、と。

言われてみると、確かに息子は補聴器をするのに大きな抵抗もなく、自然体でした。 (もちろん、嫌がることもありましたが。)

もともと、自然体な子だからかな。 別の言い方をすると、何も考えていないような・・・ ときどき、あまりにも素直で反応のなさに、「この補聴器機能しているのか? 壊れているんじゃないか?」私が不安になるほど。

補聴器をしていても、何かに夢中になっていると人の話などまったく聞いていないので、あるいは聞きたくない話は無視するので、補聴器の意味なーいと思うことも。

Мさんは、「息子さんだけでなく、あなたたち親御さんもですよ」と続けておっしゃっていたとか。

5歳という、遅くに難聴が発覚したにもかからず、全てを積極的に受け入れ、学校も良いと知れば特別支援学校に決め、しかも引っ越しまでしてしまう、と。 

確かに、この1年ほどの間に、あれよあれよと言う間に躊躇なくやってきたので、驚かれるのも無理はないかも。 でも、この1年を振り返ってみると、私たちにとって、自然で、無理なく、息子にとってもっとも良い選択肢を選んできただけのことでした。

5歳になってようやく難聴であることが分かったのは、ショックというより、2歳の頃から息子はどこかが違うと思っていて、保健師や保育園にも相談し続けていたのに相手にされず、それがようやく原因が分かりホッとした気持ちの方が大きかった。 これで息子にとって必要で的確な支援ができるとホッとしました。

そしてこの1年、難聴関係でお会いした病院や療育センターの人たちは、素晴らしいプロ意識を持ち、子供(患者)たちのことを考えいる人たちばかりで、この国にこのような人たちがいたのか~と驚き、新しい出会いも価値あるものでした。

学校に関しては、なるべく良い小学校に入れてやりたいと思い、そのための引っ越しも予定していたので、思いがけず引っ越し先が市内ではなく遠くの未知の町に市になっただけのこと。 ここの普通の公立校は酷いものなので、難聴児のための良い学校があるならば、そっちの方が息子にとってはいいだろうし、私は今住んでいる市が好きじゃないので、ここから離れられるのが嬉しいくらい。 夫は、通勤しなくちゃいけませんが。

息子の難聴が分かっても、何も劇的な変化とか、ありませんでしたが、これから引っ越し、新しい家と町に住み、息子は学校生活を始めるとなると、それは大きな変化かも。 とにかく、息子が楽しい学校生活を過ごすことが大前提。 難聴が発覚したのが遅かったとはいえ、小学校にあがる1年前だったのがせめてもの救い。 見過ごされて、小学校入学後に分かったケースも聞いているので。

さて、引っ越し準備に取り掛からなければ・・・

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一難去ってまた一難って本当で、息子がS校に入学できることになり、喜んでいるところで、次の難関。 S市での住居探し。

S校は近隣の県外からも広く生徒を募っているS市の公立学校。 多くの生徒はスクールタクシーに乗り1時間~1時間半かけて通学しています。 このスクールタクシーは基本的に児童が住んでいる市がチャーターし費用も払う。 しかし、私たちが住む市では、市外へのスクールタクシー代は一切払わないし、S校に通うことに対して何の補助もなく、無理解というか無視状態というか、行かせないよう圧力までかけてくるらしい。 とにかく、この市の対応はS校や難聴児支援センター側からも不評、不信感、問題以外のなんでもないという有様で、ここに住みながらS校に通うのは親や学校にとって闘いの日々。

夫は、そんな面倒背負い込むよりS校のあるS市に引っ越そうと即断し、今年に入ってから賃貸アパートの物件を探し始めました。 最初、すぐに見つかると思ったのです。 しかし、半年が過ぎようとしているのに見つからない。 小さな町なので、出てくる物件も少なく、申し込んでもなしのつぶて。 (ネットに空き物件の情報が出てくるので、そこで登録し連絡を待つというやり方。)

ここから遠く、知人もいない未知の町ゆえ、情報もない。 3月の体験入学のとき、夫はその町大手の不動産会社のオフィスを訪ね、自分たちの状況を説明し、対応してくれた人は夫の登録に優先マークをつけてくれたそうだけど、その後も物件は出てきて申し込むものの、連絡なし。 これじゃあ、学校が始まる8月下旬までにS市に引っ越すのは無理。 ここから通学するしかないと夫を諭す私。

夫は、タクシーバス代は高いし(実際にいくらか知らないが)、面倒な手続きをしたくないので、毎日息子を学校まで電車で連れて行って迎えに行くと言い張っていたが、それをするのは、結局私でしょ! しかも、息子が授業中は、どうしているの? 1時間半かけて行って、授業時間は3時間半~5時間くらいで、また1時間半かけて家に帰るなんて、出来るわけない。 S市に住居が見つかるまでの間、ここからスクールタクシーで通うのが妥当だと説得する私。

先日の体験入学のとき、夫は再び不動産会社のオフィスも出向きました。 ちょうど前日だかに、S校まで徒歩5~10分、駅まで徒歩5~10分という絶好の場所に空き物件が出ていたので、状況なども聞きに。

対応してくれたのは前回と同じ人で、既にこの物件には80人の申し込みがあること、S市はここ何年も新しい住居(賃貸マンション等)を建てていないけれどS市への入居希望者は多く(移民や難民も大量にこの国にやって来るし)、住宅難であることを説明され、絶望的。 息子を迎えに行った折、校長がいたのでその旨を伝え、校長も(S市に住まいが見つかるまで)私たちが住む市からスクールタクシーで通学できるよう市の説得に入ると言ってくれました。

その翌日の金曜日、夫は仕事、私は2日目の体験入学で息子を連れてS市へ行ったのですが、夫の元に例の不動産会社から電話。 「今から例の希望の物件を見に来ていいよ。」 今からって言っても、自分は抜けられない仕事中で、S市に行くのに1時間半はかかると言うと、慇懃無礼な電話の主は、それでも、住居の見学を来週にしてくれたそう。

S市は遠いので、希望住居の見学に行くには、仕事を休まなくちゃいけないし、交通費もかかる。 今後何回これを繰り返すのだろう、、、と不安になりつつ、ようやく見学まで漕ぎつけたことを喜びました。

で、翌週、再びS市へ。 不動産会社からアパートを見せてもらった夫から電話。 「けっこうボロいしエレベーターなしの4階だけど、寝室は2つあり広いクローゼットも二つある。 このまま契約に持っていけそうだけど、どうする?」 私は、学校と駅に近いロケーションは最優先だし、何度も足を運ぶ必要もないから、そこに決めようと返事。

そして、契約へ。 不動産会社の方は、夫に料金滞納の経歴や負債もなく、職場も堅実なのを見てとり、それから、「ところで、あなたはこの国の人? 苗字がちょっと変わっているけど?」と質問。 夫の父は他のヨーロッパ出身なので、この国の伝統的な苗字とはちょっと違っている。 でも「同国人ですよ」と出身地(県内にある小さな田舎町)を告げると相手は納得し、「同国人なら、大丈夫、信頼しよう。 (職場などへの)リファレンスも必要なし。」とスムーズに契約成立。

今住んでいる都市は移民や外国人が多く、この国の伝統的な苗字でない人たちが多いから、そう見られたのかな。 でも、伝統的な同国人だからとすんなり信頼しちゃうことがまかり通っているのね、この町では。 という思いが私の胸を横切ったのでした。

契約は既に7月1日からで、今住んでいるアパートの契約は3か月先までとなるので、3か月分の家賃を2重に払わねばならないのが痛いけど、とにかく、決まった~。 

入学、住居、とクリアし、次は引っ越し、新しい未知の町と生活に慣れるという難関が続いていきます。

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6月2日(木)3日(金)と、S校の新入学生の体験入学がありました。 この体験入学は、保護者抜きの子供だけで学校に行き授業を(8時半から12時まで)受けるというもの。

遠方から通う生徒たちは、実際一人でスクールタクシーに乗って登校することもできたのですが、ほとんどは親が学校まで連れて行き、時間になったら迎えに来ていたみたい。 うちも、1日目は夫が、2日目は私が、電車で連れて行きました。

授業は8時半から始まるので、家を6時半ぐらいにでました。 早めに着きすぎてしまいましたが。 1日目は、待っている私はどうだったかと気になってしかたなかったです。 二人とも元気に帰ってきました。

以前、保護者と一緒の体験入学2回目で夫と息子が二人で行ったとき、学校が近づくと息子は行くのを拒否し始め、学校に入っても夫にくっついて離れなかったので心配していたのですが、今回は学校に着いたときも問題なかったし、まだ他の(同じクラスの)生徒は来ていなかったけど、担任の先生と外で遊び始め、夫が学校を離れても問題なかったそう。

そして、その日に何をしたか、息子が写真を見せながら説明してくれました。 というのも、「2016年6月2日 S校の体験入学」とタイトルが印字され、6枚の小さな写真が貼ってある、きれいにラミネートされたA4サイズの紙を貰ってきたのです。 こんなことしてくれるんですね。 写真には、息子とクラスメートの様子が写っています。 テーブルにつき、喉が渇いているからみんなで水を飲んでいる様子。 校庭の遊具で遊んでいる様子2枚。 芝生の上で、数字が書いてある三角コーンを使ったゲームの説明をしている先生に聞きいる様子2枚。 教室の中で、おもちゃで遊んでいる様子。

小学校入学といっても、いきなり1年生で勉強を始めるわけではなく、まだ準備クラス(0年生)。 遊びながら勉強することに親しんでいく、社会性を身に着けるのが目的の学年です。

さて、翌日は私が連れて行きました。 前日のように6時半に家を出たら、予定より早めの電車に乗ることができ、7時半ごろに着いてしまったので、ゆっくり歩きながら(徒歩10~15分のところ、20分以上かけて)学校へ。 ちょうど8時くらいで、他の生徒たちも着きだした頃。 1台のワゴン車(スクールタクシーが)学校の側に止まりました。 ちょっと初老じみた運転手が降り、後ろのドアを開け二人の児童を降ろしていましたが、運転手さんはいろいろ生徒たちに話しかけ、とても丁寧に愛情深く接してる様子、生徒たちとの間にも深い信頼関係が築かれている様子が伝わってきました。 スクールタクシーの運転手さんは、人それぞれだろうけど、ただ車を運転するだけじゃないんだな、と感じました。

息子は学校に着くと鞄を背負ったまま、校庭の遊具で遊び始めました。 すると、息子とあまり変わらない年齢の一人の女の子が声をかけてきて、一緒に遊び始めました。 それが、とても自然で当たり前のことのように馴染んでいていたので、驚くやら感心するやら。

続々と学校に子供たちがやってきます。 裏の方から徒歩や自転車で来た子たちもいるので、近くに住んでいる生徒もいるんですね。 そのうち、指導員らしき先生方も外に出てきて子供たちを見守ります。 2,3人いたけれど、みな補聴器をつけ、喋り方や発音も明瞭ではなかったです。 (聴覚障害関連の学校では、必ず聴覚障害者である教師や指導員を置かなければいけません。)

息子のクラスの子たちはまだ来ていなかったけど、担任の先生はいらしたので挨拶し、息子に声をかけ学校を離れました。 息子は楽しそうに遊び、私のことなどもう眼中にない。

そして、既に私は、この学校の中で、生徒と先生方にちょっと触れただけで、深い安心感に包まれていました。 学校という多数が集まり共に1日を過ごす場所で、子供にとって(親にとっても)何より重要で大切なのは「安心感、安全性」。 それがここにはある、と強く感じ、親としても本当に「安心」しました。

この日は、前日もですが、30度近い真夏日! 私は息子が学校にいる3時間半、どこで時間を潰そう! 朝の9時前では、まだどこも開いていない。 2日間の周遊券を購入していたので、電車でS市より大きい近隣の町まで行って戻ってきました。

12時ぴったりに学校に行くと、ちょうど授業が終わり、先生が一人一人に挨拶をしていたところ。 「Give me five, give me ten, 今日はありがとう!」と互いの手を合わせながら言っていました。 保護者の説明会で、「難聴児が外国語を習うのは困難なようなので、通常4年生から勉強する英語を0学年から少しずつ導入していく」と言っていましたが、その一環のようですね。

今日息子の手にあったのは、クラス写真。 息子のクラスは全員で10人だそうです。 昨日も今日も二人来なかったけれど、8人は両日とも参加していました。 男の子3人、女の子5人。 担任の先生は二人。 必要に応じてアシスタントがつきます。

ふぅ、体験入学も、無事終了! あとは、8月下旬の入学を待つばかり。 息子もS校が大好きだそうで、通い始めるのを楽しみにしています。 良かった。

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